洋楽ロック史上最大級の復刻、ボブ・ディラン『コンプリート武道館』関係者が語る制作秘話

『コンプリート武道館』4CDインナー・ジャケット。ボブ・ディラン作品のプロデューサーとして日本人で初めて、菅野ヘッケル、白木哲也の名前がクレジットされている

 
ボブ・ディラン(Bob Dylan)初来日公演から45周年を記念して、1978年の東京・日本武道館2公演を完全収録した『コンプリート武道館』が11月15日に日本先行発売される。15年越しの交渉の末、日本主導で実現した復刻プロジェクト。制作関係者たちがその裏側を明かす。

筆者がボブ・ディランの作品をリアルタイムで体験したのは『インフィデル』(1983年)が最初。そこから「ローリング・サンダー・レヴュー」期の『欲望』と『激しい雨』(共に76年)にさかのぼって聴き進んだ世代なので、78年の初来日公演には間に合わなかったし、同年11月に日本で発売された『武道館』も後追いで聴いた。

『武道館』をオリジナル盤のLPで初めて聴いたときは、A面1曲目の「ミスター・タンブリン・マン」で鳴り響く明るいフルートの音色にディランのストイックなイメージとそぐわないものを感じたし、スティーヴ・ダグラスのサックスをフィーチャーしたアレンジからはレイト70sのアダルト・オリエンテッドなサウンドに“寄せた”という印象を受け、戸惑ったものだ。先に愛聴していたライブ盤『激しい雨』の鋭さや迫力と比較すると、そのわずか2年後なのにサウンドが軟化したように思えて、なんとなく『武道館』から距離を置いていた。

自分のような先入観で『武道館』を見ていた人こそ、今回の『コンプリート武道館』を通して体験して欲しい。78年2月28日、3月1日の2公演を完全収録した本作は、奇跡的に残っていた24chマルチトラックテープから新たにミキシングを行なったもの。曲順は演奏した通りの構成に改められ、オリジナル盤に収録できなかった11曲と、未発表の別バージョンがまとめて日の目を見た。最新ミックスの効果は覿面で、ディランの歌声とギターがグッと前に出て、各パートの粒立ちも格段に良くなった印象。目からウロコの生々しさでディランとバンドが眼前に迫ってくる、まったく新鮮な『武道館』を体験できる。

そして注目すべきは、今回のリイシュー・プロジェクトが全て日本のスタッフによって進められたこと。オリジナルの『武道館』を手がけた元担当ディレクターの菅野ヘッケル、エンジニアの鈴木智雄と、アートワークを担当した田島照久が再結集して、本作に新たな命を吹き込んだ。このプロジェクトを15年かけて粘り強く進行したソニー・ミュージックの白木哲也と、菅野ヘッケル、鈴木智雄に、『コンプリート武道館』完成までの長い道のりを振り返ってもらった。





この発掘プロジェクトは2007年、白木が『武道館』のマルチトラックテープを発見したところからスタートした。

白木:2006年に鈴木智雄さんにお願いして、オリジナルのマルチからサンタナの『ロータスの伝説』(初来日公演を収めた74年発表のライブ・アルバム。2006年の再発を経て、2017年に『完全版』として復刻された)を作ったときに、同じようにディランの『武道館』のマルチも残っているんじゃないかと思って調べてみたのがきっかけでした。手書きの台帳を見ていくと、これは臭うなっていうやつがあったんですよ。それで倉庫から取り寄せてみたら、アナログのテープが20本出てきた……それが2007年のことでした。チェックしてみるとテープの保存状態が結構良かったので、仮のミックスを一回作ってみて。とても良い内容だと思ったのでニューヨークの関係者に送りましたが、なかなか進展がなく、何年も過ぎて行って。その後、突然ゴーサインが出て動き始めたのは2022年の4月でした。その間もあきらめずに、機会があるごとにアピールをし続けていたのが、ようやく実ったんだと思います。


30年近く倉庫に眠っていたマスター・テープ


1978年リリースの『武道館』(At Budokan)

オリジナルの『武道館』を担当した菅野もテープ発見当初から話を聞いていたが、何年も進展がないままだったので、半ばあきらめかけていた“悲願”達成の報告に驚いたという。

菅野:最初から全部入れれば良かったわけだけど、(オリジナルの『武道館』は)2枚組アナログアルバムで出すということが決まっていたので、どうしても曲数を絞らなきゃいけなかった。どの曲も本当に甲乙つけがたかったですよ。なるべく日本で知られている曲を入れた方がいいだろう、ということで選曲しました。日本では新曲の「イズ・ユア・ラヴ・イン・ヴェイン」(初来日公演の約4カ月後にリリースされた『ストリート・リーガル』収録)をやったわけだから、これも当然入れたかった。そうやって曲目を決めていくと、2日間のバージョン違いを別にしても、入れられなかった曲が11曲もあって。それらも全部含めた形で、いつの日か世に出せたらいいなという夢みたいな想いを当初から持っていたわけです。

2007年にマルチテープが見つかったときから、僕は白木君に会うたびに「コンプリートで出そうよ」としつこく言い続けたんだけど(笑)。それが本当に実現するとは、正直思ってもいなかった。とても長い時間が経ってましたから……テープが見つかってからリリースが決まるまで15年ですよ! その間の粘り強い交渉が向こうを動かしたんだと思う。それと同時に、ボブ自身が満足できる、コンプリートで出しても恥ずかしくない演奏だと認めたからこそOKが出たはずで。ならば何も加えず、何も省かず、完全なものを出そうと思ったし、それが可能と思える素晴らしい音が残っていたこと、それがスタート地点になったと僕は思っています。

 
 
 
 

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