OPNダニエル・ロパティンが語るポストロック再訪の真意、人間と機械と自分自身の境界

 
人間と機械、自分と自分自身の境界

―「A Barely Lit Path」のミュージック・ビデオを見て、「可哀想で、怖くて見ていられない」という感想を述べた友人がいます。

ダニエル:(苦笑)えーっ、なんてこった……! 参ったな(笑)。

―(笑)それくらい、悲しい筋書きですよね。

ダニエル:ああ、うん。



―で、この感想はとても興味深いものだと私は感じました。なぜなら、あのビデオの中で車に乗っているのは、人間のような動きをする人形であり、人間ではないからです。しかし、人は往々にして、人間を模した「人間以外のもの」に、ロボットや動かない人形、動物にも感情移入してしまいがちです。あなたは、人間と人間以外のものを隔てる境界はどこにあると思いますか?

ダニエル:んー……それって、とんでもなく答えるのが難しい質問だな!

―(笑)すみません。

ダニエル:いや、いいんだよ、気にしないで。まあ……僕はいかなる意味でも、「その道の専門家」として答えるべきじゃないだろうな……僕はエキスパートでもなんでもないし、それにほら、その質問に対して本当に興味深い回答を出してくれる例は、サイエンスフィクションの中にいくらでもあるわけだし。

―ええ。

ダニエル:でも、僕からすれば、大事なのは……その「もの」のスピリットだね。だから、人間じゃなくても構わないというか……この惑星上にはたくさんの種の動物が存在するし、何も無生物のオブジェやロボットにまで話を広げなくてもいいんだよ。たとえば君が科学者であれば、「動物は感情的に行動することができるか否か」を規定する、あるいは数値化するためにどうすればいいか考えるだろう。というか、自分たち自身が、人間がスピリットを持つ能力に関してすら、僕たちには知らないことがまだまだ山ほどあるわけで。

―そうですね。

ダニエル:20世紀の悲しみの多くというのは、この「僕たちは何かを失ってしまった」という、常につきまとう気づきじゃないかと思う――自分たちのスピリットという意味においてね。スピリットが少しずつ、常に削り取られていく状態になっていて、いわば……「神様は仕事に出かけてお留守(God’s away on business)」というか。これは僕の大好きなトム・ウェイツの歌の一節なんだけど(※トム・ウェイツ「God’s Away On Business」/『Blood Money』収録)、だから神様は不在で、今やここにいるのは僕たちだけ。で、たぶん僕たちは、そうしたことを定義するのに四苦八苦しているんじゃないか、と。

いや、これは良い質問なんだよ。ただ、果たして人間に興味を抱くのと同じくらい、その点にも自分は特に興味があるかすら、僕にはさだかじゃないし――だから、あのCPR人形(臨床シミュレーション用人形)が君の友人に対して何らかのエモーショナルな影響を与えたって事実、それ自体が、とどのつまり、そうしたことのすべてに取り組まなくちゃいけないのは我々人間の側だ、と意味しているんじゃない? ロボットでも、人形でも、それ以外のもろもろでもなくて。そうしたものたちは創造物であり、投影であり、ときに鏡のような役割を果たすこともある。僕たちが自分たち自身についてじっくり思索する際に用いることができる、一種の見本、原型としてね。でも、僕にとって一番重要なのはそこ、自分たち自身に関するコンシャスネスのどのレベルに自分たちはいるのか、そこに深く思いをめぐらせ、そうやって自分たち自身を成長させていくってことなんだ。

―『Again』は、「人間的なものとは何か?」という問いかけのようにも感じられます。このアルバムは、人間と機械との境界に意図的な揺さぶりをかけているように感じられました。たとえば、AIテクノロジーを部分的に使っているように。ただ、あなたは本作を作る上で、そのようなことは考えていましたか?

ダニエル:そうだな、興味があったのは、自分(me)と、自分自身(myself)との境目を不鮮明にすることだったんじゃないかと。アッハッハッ!

―というと?

ダニエル:(笑)だから、僕はたくさんの、色んな「僕の数々」を生み出したかった。あのレコードをまとめながら、あのレコードを、ときにバンドのごとく振る舞わせたいと思ったし、またある場面ではオーケストラのような動きをさせたい、と思うこともあった。一方で、ベッドルームのスタジオにこもっているひとりぼっちの男みたいにしたい、と思ったときもあったし、また別の場面では、この男は果たして「ここ」にいるんだろうか、もしかしたらどこか別の次元にいるんじゃないか?とすら思えるような響きにしたかった。だからそれは、これらすべてを反映したことであって……たしかに、AIという「ツール」はいくつか用いたよ。けれども結局のところ、その道具の使用の狙いは、多重な人格というか、僕の持ついくつもの人格を語るものであって、AI技術云々について話すことが目的ではないんだ。

―なるほど(笑)、なんだか分裂症っぽく聞こえますが……。

ダニエル:うん! それそれ、それは言い得て妙だな。


Photo by Andrew Strasser & Shawn Lovejoy / Joe Perri

―アルバムのタイトルは『Again』ですが、あなたは以前から何度か「人間の記憶は曖昧だから、過去に戻ろうとしても戻れないんだ」と述べています。そのように反復を試みても間違えたり失敗したりするという人間の性質が、人間のクリエイティビティの源泉だという意識があなたにはあるのでしょうか?

ダニエル:間違い/失敗はクリエイティビティの源泉か? うん。僕はそうだと思う。っていうか……クリエイティビティの源泉云々以上に、それ(失敗)は避けようがないんじゃないかな。とにかく、それが僕たち人間ってものなんだし。で、多くの場合は……周りを見回してみると、僕たちの目や耳に日がな一日流れ込んでくるものと言えば、それは「成功しよう!」というモチベーションなわけだよね。

―そうですね(笑)。

ダニエル:でも……僕からすればそれは(苦笑)、「山ほどの失敗」の症状を呈するものだ、っていう(笑)。いやだから、それとは正反対のこと、人々に失敗をおかさせないための、それに従事する産業がその周囲にいくつも成り立っているくらいだしさ。ということは、僕たちは人間経験の一部として、失敗と戦っていることになる。だから、それを避けるとか、あるいは直視しようとしないっていうのは、アートの面から言えば、僕にはちょっとこう、愚かなことに思える。アーティストとして、その人間は、自分にとって「これは人生に関する真実だ」と思えるもの、その何もかもを見据えなくちゃならないわけで。物事が一体どういうことになっているのか、そこに関する何らかの洞察を人々とシェアすること、それはアーティストにとっての贈り物だからね。

というわけで、うん、僕にとっては、「失敗する」という発想には……たとえばの話、僕や僕の友人たちは、ポップ・ミュージックを目指したのに、そうなり損ねた音楽のことを「落第/出来損ないポップ(failure pop)」と呼んでいたもので。で、僕たちは、そうした中でも自分たちに見つけられる一番サイアクな、ヘマな作品を熱烈に擁護したんだよ。というのも、別に、とりわけ洗練されてもいないし、大して完璧でもないのに、そういうものとして自らを提示しようとがんばった音楽、それを聴くのにはどこかしら非常に人間臭く、愛らしいところがあるから。

―個人のSNSへの投稿や、グーグルやメタといった巨大IT企業による行動履歴の情報収集などによって、これまでにない規模で人間の行動や考えは詳細にアーカイブされるようになっています。こういった情報環境の変化は、人間の記憶の曖昧さに影響を与えると思いますか? 写真や動画や音声があるぶん、ビッグ・データ時代以前よりももっと正確に「過去を思い返せる」と言えると思うのですが。

ダニエル:フム。んー……(笑)今の質問を聞いていて、映画『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(1995年)が頭に浮かんだよ。なんでだろう? でもまあ、『ストレンジ・デイズ』の設定は、要は人が見返したいような、人生の中の良い場面等々をデジタル・レコーディングとして保存できる、というものなわけで。

で、僕からすれば、どうだろうな、そうした変化が記憶をもっとベターなものにするか否か?云々は分からないけれども……その質問は、たぶん、そういった物事を数値化している人間になら答えられるんじゃないかと思う。ただ、誰かの身の上に起きた経験の「(量=quantityではなく)価値(quality)」、それをある種の、一点の曇りも無い明晰さ・精度で呼び起こせるっていうのは、僕にはとてもメランコリックなものに思える。

―なるほど。

ダニエル:非常に物悲しい。それは、とても悲しいだろうな――リコールが終了したところで、ヘッドセットを取り外さなくちゃいけないんだから。そうやって、実際に起きたことから切り離されてしまうってことだし、それを再び生きようとするのは……もうずっと長いこと、進化・進展というのはそうやって、徐々に消えていくようにできているわけで。ただたまに、記憶にまつわる情緒、それを心の中で永遠に保つことはできたりする。その明晰さは、たぶん、単なる幻想に過ぎないんだろうと僕は思う。それは、君の頭脳が君のために作り出してくれるテレビ番組であって。だから、それを非常に澄み切った、HD仕様で見ることになるとしたら、それは僕からすれば、とてもほろ苦い経験になるんじゃないかと思う。すごくメランコリックだろうね。

―今のお話を聞いていると、記憶をHDで再生できるというのは、ある意味では地獄なのかもしれないな、とも思えます。

ダニエル:ああ、そこまで言う必要はないけど、大まかに言えばそうだよね。基本的に、そっちの方向に進んでしまうこともあり得るから。さっき言った『ストレンジ・デイズ』も、ある意味そういう映画なわけで。

Translated by Mariko Sakamoto

 
 
 
 

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