加藤登紀子が語る、訳詞で表現してきたシャンソンの奥深さ

加藤登紀子

音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。

2023年10月の特集は、「クミコと加藤登紀子」。テーマは「シャンソン」。シャンソンというのはどういう音楽なのか。日本のポピュラー・ミュージックにどんな影響を与えてきたのか。3週目4週目はゲストに加藤登紀子を迎え、辿っていく。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは加藤登紀子さんの「さくらんぼの実る頃」フランス語ヴァージョン。1992年に公開された映画『紅の豚』の中で流れておりました。今週の前テーマはこの曲です。

さくらんぼの実る頃 (フランス語ヴァージョン) / 加藤登紀子

戦後のポピュラー・ミュージックの柱の1つだったシャンソン。学生時代の1965年に第2回日本シャンソンコンクールで優勝して、1966年にデビューした加藤登紀子さん。今は日本訳詞家協会の会長さんでもあります。シャンソンを軸にして日本語の歌の可能性を求め続けて半世紀以上。今週と来週のゲストは加藤登紀子さん。こんばんは。

加藤:こんばんは。よろしくお願いします。

田家:「さくらんぼの実る頃」は何度もお歌いになっている?

加藤:1992年に『紅の豚』でジーナとしてフランス語で歌ってくださいと言われたときに、フランス語で歌って。それまでは日本語で歌っていたんですよね。1972年に中東ヨーロッパの旅から帰ってきたときに私なりのワールド・ミュージックの最初のアルバムと言っていいか、その中に「さくらんぼの実る頃」をチラッと入れているんですけども。

田家:『色即是空』。

加藤:正式には『紅の豚』でフランス語の挿入歌を収録したときに『さくらんぼの実る頃』というアルバムを出しました。そのときに初めて4番までストーリーを全部踏まえて日本語の訳を作ったんです。この歌そのものが作られたのは、1871年のパリ・コミューンのときなんですね。1830年とか1848年とか何回かフランスで革命があるんですよ。ジャン・バティスト・クレマンという人が亡命してベルギーで貧乏のどん底にいたときにこの詞を作って。冬が越せないので巡り合った一人の歌手にこの詞を買ってもらうんですね。代わりに毛皮のコートをもらって。託された人がこの曲をつけて、曲ができていった。1871年のパリ・コミューンのときに全員が殺されたり、国外追放されたり、牢獄に入れられたりしたときにパリ・コミューンを偲ぶ歌として一斉に歌われて残った。あれは本当に素晴らしい美しい季節だった。でも実りの真っ最中に残念ながら地面を真っ赤な血で染めた歴史、記憶は何年経っても薄れることがないという歌詞が付け加わって150年歌われている。『紅の豚』の中でジーナがこの歌を歌った舞台は1920年代ですから、パリ・コミューンが起こってから約50年ぐらい経っているんですよね。はるか昔に革命が起こったときがあったことをジーナがみんなに歌って聴かせている、そういうシチュエーションがあるわけです。

さくらんぼの実る頃 / 加藤登紀子

田家:アレンジもこのときのためのものをお作りに?

加藤:はい。これは『さくらんぼの実る頃』というアルバムを1992年に『紅の豚』が上映された年に出したんですね。そのときに意味を知ってほしいので日本語版も同じアルバムにレコーディングしたんですね。アレンジはちょっとロマンティックになりすぎているかなって。革命の歌という雰囲気があまり漂っていないのはちょっと私としては不覚なところもあるんですけれども。今わりともう少し違う感じで歌っていますね。

田家:こうやって曲の話をお聞きしてると必ず歴史的な背景が出てきますもんね。

Rolling Stone Japan 編集部

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