加藤登紀子が語る、訳詞で表現してきたシャンソンの奥深さ

愛しかない時 / ジャック・ブレル

田家:ジャック・ブレルの3曲目「愛しかない時」。

加藤:これはたくさんの方が翻訳もなさって愛されている曲ですね、印象に残ったのは2015年11月3日のパリ同時多発テロのとき、追悼会で3人の女性歌手がこれを広場で歌いました。『シャントゥーズTOKIKO ~仏蘭西情歌~』のアルバムを仕上げたときに、これが私にとってのシャンソンですよってことを示すのに「愛しかない時」が入っていないと、ちょっと物足りない。最後にたどり着いた曲だったんですけれども、すごく訳詞が難しい。ジャック・ブレルは韻を踏んだりすることでいろいろな難しい言葉を引っ張ってきたり、どうしても解釈できないこともいっぱいあるんですよね。それで私はちょっと語りを入れて、曲の全体の容姿を1つ意味として歌うような形の翻訳にしました。「愛しかない時」という歌が持っている世界を私なりにドラマにしたというか、そんな感じです。

田家:反戦歌というような捉え方もできますもんね。

加藤:これはハンガリー動乱のときにできた曲だと言われていて、政治的に受け取ったときに一切それは忘れてくれと。僕は政治的な意味も含まれているかもしれないけど具体的に何を歌ったかということは決して言いたくないというふうに答えたと聞いています。

田家:言いたくないと。

加藤:うん。1956年のハンガリー動乱とかいろいろそういうことがこの曲のきっかけじゃないかと言われたときに、一切繋げないで聴いてほしいと言ったと聞いているんですね。

田家:繋げないでほしいというふうに言った、ジャック・ブレルの気持ちというのは加藤さんはお分かりになるんじゃないですか?

加藤:私はこの詞を作ったのが2006年で、今はちょっと戦争という時代になってますけどベトナム戦争がやっと終わって、だけどアフガンの戦争が起こってしまい、だんだんテロリストの時代になっていったりしますよね。そのときに恋人に別れを告げて僕は行くんだというようなシーンが浮かんできて。それはこの詞を訳すときにイメージしましたね。

田家:ハンガリー動乱というのは、ハンガリーがスターリン流ソ連の社会主義に対して、自由を求めて蜂起した最初の例ですからね。

加藤:ハンガリー動乱は多少共産主義社会に理想を抱いた若者にとっては衝撃的な出来事だったし、フランスでもそうだったんだと思うんですよね。

田家:そういう中で生まれた歌が加藤さんの中でこうなりました。「愛しかない時」。

愛しかない時 / 加藤登紀子

田家:たしかにこれが何年にできた歌かというようなことはあまり説明必要ないですね。

加藤:そこに限定されることはない普遍的な歌ですよね。

田家:もう今の歌ですもんね。そういう意味で今週はパリ・コミューンの話があったり、パリの同時多発テロがあったり、いろいろな歴史的なことも出ていますが。加藤さんにとってのシャンソンはやっぱりそういうことも全部含んでの音楽ということなんでしょうね。

加藤:フランス人はよくエスプリって言葉を言われるんですね。エスプリはある種の思想とか、自分の立ち位置というか、考えというか、それを示さないとエスプリがないねという言い方をする。シャンソンの場合はそれって自分なりのモラルとか、自分なりの思想でとか、オピニオンがあるべきだというのはあるような気がしますね。

田家:来週は訳詞についていろいろ教えていただこうと思います。来週もよろしくお願いします。

加藤:ありがとうございました。よろしくお願いします。



流れているのはこの番組の跡テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

シャンソンとはどういう音楽なのか。僕ら子どもの頃はアメリカの歌もイギリスの歌もフランスの歌も南米の歌もヒットチャートに入っていたことがあった。例えば、イヴ・モンタンの「枯れ葉」とかそういう歌はなんとなく知ってはいたのですが、ここまでとは思わなかったなと毎週思い知らされております。

なぜシャンソンに惹かれていったのか、単にメロディが綺麗だったからとか、曲がロマンティックだったからとか、歌っている人が素敵だったからという次元どころじゃないですね。「愛の讃歌」というのがどういうところで生まれたか。ピアフがなぜそれを替えて歌ったのか、「さくらんぼの実る頃」はパリ・コミューン。150年以上前、パリに市民が立て籠もって革命を起こそうとしたことがあるんです。それがフランスの歴史のもとにもなっていたりするのですが、その中から生まれた歌がどうに後世に伝わって、それを誰がどうやって歌ってきたのかも踏まえながら、加藤さんは自分の言葉にしているんですね。

「愛の讃歌」もそういうピアフの生涯があって、ピアフがどういう生い立ちでどんな青春、それからどんな辛酸を嘗めて、最後にどんな悲劇を送ったのか。恋人を失った歴史と加藤さんに旦那さんが亡くなったことが重なり合ったり、1つの歌にこれだけのストーリー、ドラマ、背景があるんだということを彼女自身が身をもって伝えようとしている。すごい特集を組んだとあらためて思いながら帰って寝られないぞという気分で来週を迎えようと思います。来週は訳詞について訳詞家協会の会長である加藤登紀子さんについて伺います。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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