笠置シヅ子が起こした革命、刑部芳則が語る服部良一によるリズムの実験

ロスアンゼルスの買い物 / 笠置シヅ子



田家:昭和25年、1950年11月録音で12月発売。

刑部:服部さんと笠置さんが昭和25年の6月から10月までハワイ・ホノルル、アメリカ・サンフランシスコ、ロサンゼルスと各地を回るんですね。まさに帰ってきた土産物という形で作られたのがこの曲なんですよ。笠置さんと服部さんにとってもいい旅だったんですよね。例えばロサンゼルスなんかだと20世紀フォックスだとかMGMでは映画撮影を見学したり、MBC放送局ではビング・クロスビーなんかが出演するラジオショーを見学したり。当時ミュージカルで流行っていたキス・ミー・ケイトなんかを観たり、最先端の向こうの音楽だとかショービジネスを観てくるという体験をしたみたいですね。

田家:衝撃だったでしょうね。衝撃なのか憧れなのか夢のようだったのか。ロサンゼルス、ハワイ、アメリカと言うと、「憧れのハワイ航路」。これが昭和23年。映画公開が昭和25年。「憧れのハワイ航路」に対してはどんなふうに思われます?

刑部:岡晴夫さんの曲ですよね。おもしろいなと思うのはその前、昭和16年に真珠湾攻撃でもって日本が奇襲攻撃したのがハワイなわけですよね。そこから7年経って、日本人が憧れの対象になる。7年間で鬼畜米英我らの敵だって言っていた日本人が、こんなにそこを憧れるというふうに価値観が変わることにすごく不思議に感じるんですよね。

田家:そう言われればね(笑)。何が変わったんでしょうね。

刑部:これは私の研究課題で。人々の思想とか価値観がなんでそんなに変わるのかというのを、探るのが一番難しいんですよね。

田家:歌とか映画はそれが比較的端的に出ますもんね。

刑部:そうなんですよ。本当におもしろいもので戦前と戦後って本当に切り分けられるような形で、戦前って時代劇を中心にしたような東海林太郎さんの曲みたいなのがすごくヒットしますけども、戦後になると全く売れなくなっちゃうんですよね。それからやはり同じように芸者歌手の人たち、小唄勝太郎さんなんかを中心にして、あれほど「東京音頭」とかで人気だったんだけど戦後になるとヒット曲が出なくなっちゃうんですよ。急に外国曲みたいなものが非常に人気になってくる。

田家:この後のテーマはそういう話なのかもしれませんが、歌は世につれという例が今週でもあります。先生が選ばれた4曲目「モダン金色夜叉」。

モダン金色夜叉 / 笠置シヅ子



田家:1951年、昭和26年2月発売。すごい歌ですね、これも。

刑部:ね、おもしろいですよね。金色夜叉は尾崎紅葉という人が明治時代に書いた小説で、大変なベストセラーになりましてね。大正時代にそれを歌にしたら、またヒットするわけです。

田家:熱海の海岸散歩する~♪

刑部:そうですね。今も熱海に行くと、あれが流れますよね。銅像の前でね。その後映画だとか舞台で上演されたりする人気作なんですけど、言ってみればその2年前に「青い山脈」のような学園ドラマが生まれて。戦後世代の人からすると、ちょっと古い戦前の作品なんだけど、それを服部さんと笠置さんのコンビでブギのメロディにして仕上げることによって、昔の名作を今の若い人たちにというような、そんな感じの作品ですよね。

田家:作詞も服部さんなわけですもんね。本当に当時の学生生活が克明に歌いこまれている感じがありますよね。

刑部:そうですね。

田家:あらためてこれもDisc2を聴いていて思ったのですが、「セコハン娘」という歌がありますよね。あれは再婚したシングルマザーの連れ子の娘さんの歌でしょう?

刑部:お姉さんがいて、何をするのでも私は2番目なんだという。使い古したものを全部使っていたと。結婚する場合も結婚相手も自分は再婚なんじゃないかと。そんなような自虐的な歌ですよね。

田家:亡くなったご主人というのは戦争で亡くなったりしたのかなと思って聴いていたんですよ。

刑部:たしかにね。この時代の曲はみんなそういう別れた人、その別れた人はと言うと、戦争で亡くなっているんじゃないかと思わせる曲が多いですよね。

田家:多いですね。そのへんがやっぱり世につれてますね。音楽は舶来なんですけども、歌は世相というのが服部良一さんの音楽なのかもしれないなと思ったりもしたのですが、次の歌はまさに舶来であります。「オールマン・リバップ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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