ビートルズの薬物事情:LSDが作ったアルバム『リボルバー』

(Photo by Mark and Colleen Hayward/Redferns)


ビートルズの作り出した輪廻のイメージは不気味で、LSDによる幻覚症状を説得力のある形で再現していた。グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ドアーズ、ピンク・フロイドなどほかのバンドは、自らの精神状態をそのまま音楽に表現しようとしたため、インプロヴァイゼーションによるフレーズが延々と続いた。それに対しビートルズは、計算し尽くしたサウンドを作り出していた。リンゴ・スターは言う。「酔っていたりトランス状態でプレイしてもロクな音にならないってことは、俺たちは元々わかっていたんだ。だから俺たちはあらかじめトリップ経験をして、覚めてからその経験を音楽に取り入れたのさ」。

『トゥモロー・ネバー・ノウズ』はアルバム『リボルバー』の方向性を決定づける曲となった。ビートルズは新たな道を見出すことができたのである。そして4月6日〜6月22日の11週間、それまでビートルズがひとつのアルバム制作にかけたことのない連続最長期間で、新たに見出したユニークなスタイルによるレコーディングを行った。「俺はただ眠っているだけさ(I’m Only Sleeping)」という歌うレノンのヴォーカルに絡むハリスンのバッキングギターのフレーズは、当時のポピュラー音楽にはない斬新なアプローチだった。同時にビートルズのサウンドは、レベルの高いプロの技にも支えられていた。例えば、マッカートニーによるモータウンの影響を受けたサウンドの大麻讃歌『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ(原題:Got to Get You Into My Life)』や失恋の悲しみを歌った『フォー・ノー・ワン(原題:For No One)』(1965年〜66年の間にマッカートニーが作った、ジェーン・アッシャーとの恋愛トラブルをテーマにした曲のひとつ)では、印象に残るフレンチホルンのソロプレイが聴けるが、それはBBC交響楽団のアラン・シヴィルによるものだった。



それまで曲作りにはほとんど関わらなかったハリスンだが、アルバム『リボルバー』ではそのセンスを存分に発揮した。鉄壁でかつ年上のレノン&マッカートニー・コンビと肩を並べて仕事することは、大きなプレッシャーだった。メロディも歌詞も貧弱だと見なされて、ハリスンからの提案が採用されることはほとんどなかった。ところが映画『ヘルプ!4人はアイドル(原題:Help!)』の撮影でインドを訪れていた1965年、ハリスンは地元のスタジオミュージシャンたちが『ハード・デイズ・ナイト(原題:A Hard Day’s Night)』を演奏するのを聴いた。それがハリスンとシタールとの初めての出会いだった。ハリスンはすぐさまシタールを手にとった。大きくて抱えにくく、ギターと似たようなフレットに21本の弦が張られ、半音よりも細かい微分音も使って演奏する。ハリスンはシタールにのめり込んだ。ビートルズの1965年夏のツアー中、バーズのデヴィッド・クロスビーとマッギンが、レコーディング中だったシタールの第一人者ラヴィ・シャンカールのもとへハリスンを連れて行った。ハリスンはロンドンで安物のシタールを購入し、レノンのアイディアに従いアルバム『ラバー・ソウル』に収録された『ノルウェーの森』でシタールを演奏した。シタールの響きはロックンロールのサウンドとうまく調和した。その後さまざまなバンドがシタールを使い始め、ストーンズは1966年5月にリリースされた『黒く塗れ!(Paint It, Black)』でシタールを使った。


シーク教徒の師範からシタールの教えを受けるビートルズのジョージ・ハリスンとそれを真剣な面持ちで見守るメンバーたち(Bettmann / Getty Images)

シタールの奏法を習得しインド音楽をよく理解したハリスンは、ビートルズの中で新たなポジションを獲得した。ほかのメンバーたちは、ハリスンが作った初のインド音楽をベースにした楽曲『ラヴ・ユー・トゥー(原題:Love You To)』をさほど重要視していなかった。一方でハリスンは、ロンドンのアジアン・ミュージック・サークル(AMC)からインド人の演奏家たちをレコーディングに招いた。曲自体はヒンドゥー教の信仰と直接関係がなく、一日中セックスすることを煽るような内容で、ハリスン独特の皮肉っぽさも感じられる。「周りにいる誰かが/お前を押し倒し/やがて、奴らはお前をあらゆる罪で満たすだろう」。それから間もなくハリスンはヒンドゥー教に傾倒し、その後の人生を熱心な信者として信仰を続けることとなる。仏教の要素を採り入れたレノンの『トゥモロー・ネバー・ノウズ』とハリスンが新たに持ち込んだインド文化が、2人の間の相乗効果を発揮し、アルバム『リボルバー』に哲学的な新風を吹き込んだ。



アルバム制作以外でのレノンとハリスンの共通点は、もちろんLSDだった。「LSDを一緒にやった後の俺たちは、何だか面白い関係になったよ。多くの時間を一緒に過ごすようになり、ほかのメンバーの誰よりも親密になった。彼が死ぬまで。ヨーコが絡んできてからはジョンとなかなか個人的に一緒の時間を過ごすことはなくなったけどね。でも時折彼と目が合うと、俺たちはつながっているんだ、と思えたよ」とハリスンは後に語っている。

Translation by Smokva Tokyo

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