Koji Nakamuraが語る、音楽における「時間の感覚」と「価値」の話

『2001年宇宙の旅』で「体験」そのものに意味があることを理解

─なるほど。そういえばTwitterでも「同じ曲を何度も録音したほうがいいよ。とくに今のバンドは。曲の消費が速いから、同じ曲を何度も塾考して世に出すことは、このスピードへの答えの一つになると思う」とおっしゃっていましたね。

ナカコー:その反面、アルバムというのは突然やってくるものでもあるから。過去そういう作品もたくさんありましたよね。「え、作ってたんだ!」みたいな(笑)。リスナーにとってはそういう喜びも大切ですし。なので、システムとしてサブスクリプションは肯定的に考えているし「みんなやってみた方がいいよ」って思うけど、それが主流ではないというか(笑)。

─選択肢が増えるというのは、単純にいいことではありますよね。フィジカルで出したい人もいれば、オープンソース的に制作過程を開示したい人もいて。共存していく世の中になればいいのかなと。

中村:そう思います。それぞれのアーティストの使い方次第ですね。

─例えばカニエ・ウェストの昨年のアルバム『ye』が象徴的だったの思うのですが、ここ最近「アルバム」のボリュームが縮小されているのはサブスクリプションの影響もあると思いますか?

ナカコー:少なからずあるとは思います。作品というのは、それを鑑賞している間、相手の時間を言ってみれば「奪ってしまう」ものですよね。それが、例えば現代社会において1時間もあるのは、映画でもない限り難しいというか。30分とか40分くらいなら、割とサクッと聴けるし次の作業に移りやすいというのもあるかもしれない。

─なるほど。確かに世の中全体がどんどん「せっかち」になっている気はします。にも関わらず、映画の尺はどんどん長くなっているのは不思議ですね(笑)。昔はせいぜい90分とか100分だったのが、今は2時間半とか余裕で超えるハリウッド作品もあります。

ナカコー:しかも、それで鑑賞できちゃうのが不思議ですよね。この間も『2001年宇宙の旅』がリバイバル上映されていたじゃないですか。あれは1969年の映画ですが、あの2時間半もある作品を僕は劇場で3回観ちゃって(笑)。てことは休憩も3回挟んでいるということか。

─ご覧になったのですね! 大画面で観た4Kの『2001年〜』はいかがでしたか?

ナカコー:最高でしたね。最初は真ん中の一番いい席で観て、次はちょっと前で観て、最後はもうかなり前で観ました(笑)。

─埋没感を味わってきたのですね(笑)。

ナカコー:あの映画は大画面で観るという「体験」そのものに意味があることが、ようやく理解できました。僕が『2001年〜』を初めて知った時にはすでにDVDもVHSで出回っていたし、「すごい作品だ」という冠が付いていたわけですよね。それを踏まえて観るのと、公開された当時の人たちが大画面で浴びたのとでは、全く意味合いが違う。今回、その当時の人たちと近い体験ができたのは滅多にない機会だったと思うし、実際に観てみたら……ちょっと今まで観た映画が全部ウソだと思うくらいの衝撃でしたね(笑)。もう、この先、小さなテレビ画面で観る『2001年〜』は別モノだろうなと。

─ちょっと話がずれてしまいましたが、『2001年〜』のアンビエントっぽさと、今作『Epitaph』のアンビエントっぽさは、どこか共振する部分があるとも思いましたか?

ナカコー:割と「確認」に近いものがありましたね。自分の感覚、今自分がいいなと思っているものや、欲している感覚が、『2001年〜』にはそのままパッケージされていて。これまでに何度も観た作品ではあるけれど、今回は「体感」として味わうことができて。昔からあんなに好きだったのに、ここにきて再びその世界にのめり込むというのは、なんだかとても不思議でしたが。

─共通するキーワードは「タイム感」ですかね?

ナカコー:そう。その作品を体感する「時間」というか、一つ一つの「時間経過」に意味があるというか。

確かに。あれだけの尺を使ってこそ、見えてくる世界観ではありますよね。

ナカコー:そういう時間感覚は、『Epitaph』でもすごく意識しました。楽曲としての、いわゆるメロディラインはもちろん前提にはあるのだけど、何よりも「いい時間だったかどうか?」が自分の中では大事なテーマになってきていて。ライブでもレコーディングでも、それを聞いている空間と時間が、自分にとっていいものだったのか、それは必要な時間だったのかを、より深く考えるようになりましたね。

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