Koji Nakamuraが語る、音楽における「時間の感覚」と「価値」の話

Madeggとの対話

─具体的にはどんな形で制作に関わっていたのでしょうか。最初の取っ掛かりとしては、ある程度曲の完成形を思い浮かべながら作っていくのですか?

ナカコー:それは結構不思議なもので。はじめに「こうしたい」という完成形を定めていないんですよ。僕がラフに作った素材をMadeggくんに送り、戻ってきたものをバシッと並べた瞬間に「もうできている」というか(笑)。それはMadeggくんの音楽を聴いたときに、僕が理想とする音楽をやっていたから。彼と作ると決めた時点で、もう自分の中でできていたのだろうなと思います。

─道筋や目的地を特に決めず、ファイルのやりとりがある意味「対話」のような感じで、気がついたら思いも寄らない場所まで来ていた、みたいなところもあったのかもしれないですよね。

ナカコー:うん、そうですね。

─ある意味、ファイル上で「インプロのセッション」をやっているような。

ナカコー:とてつもなくいいインプロをやっている時って、信じられないことになっていて。演奏者全員が「信じられない」って顔で演奏するんですよ(笑)。それと近いかも知れない。

─彼が以前のインタビューで、「今のアーティストってアイドルみたいなものに近くなっていっている気がするんです。音楽でも、スター性を重視すると、キャラクター性のようなものが強くなっていっている。それに対して違和感」と話していて。ナカコーさんも「自分を消したほうが音楽は作りやすい」とツイートしています。この、お二人の感覚って通じるものがあるのかなと思いました。

ナカコー:昨今の「キャラクターありき」という風潮は確かに違和感がありますね。キャラクターというのは滲み出るものだし、時間の経過とともに増していくものだと思う。それは人間だから、最初に設定があるわけじゃないんですよ。アニメやゲーム、映画だったらそれは必要なのですけど、普通に生きている人間なのだから「設定」が先にあるのは、見ていて無理があるんですよね。例えばゴールデンボンバーとかは、全然構わないんですよ(笑)、そもそもそういう戦略だし。彼らのやっていることは、頭がいいなと思うんですけど。

─はい。そもそもコンセプトありきを自覚してやっていることですからね。

ナカコー:普通にシンガー・ソングライターが「まず設定から考えよう」ってなるのは、ちょっと違うんじゃないかなって。まず曲を書いて、どんな音楽を面白がる人なのか、どんな音楽を作る人なのか、そこからやってくださいっていう感じがしますね。

─先に設定を決めてしまったら、作る音楽も自由でなくなってしまいますよね。

ナカコー:それに、ネットの用語もカテゴライズなんですよね。「僕は陰キャです」とか言われてもこっちは知らんし(笑)。人間って「陽キャ」と「陰キャ」の2種類しかないの? って思っちゃう。それって、ある意味では「遊び」だったはずなのに、実際の生き方まで縛られてしまっている人が多いなって思う。カテゴライズを社会にまで組み込もうとすると、それは違うだろって思う人は当然でてきますよね。おそらくMadeggくんの違和感も、その辺りにあるんじゃないかな。

─「作家性」も「オリジナリティ」も、作品を作り続けた先にあるような気がしますよね。「いいインプロ」も、自分というエゴを消した先に生まれるのかも知れないし。

ナカコー:それはありますね。例えば1曲作って「自分はこうなんだ」と決めてしまって、次はそこからスタートするっていうやり方だと、どんどん自由がなくなっていく気がするんです。その「自分はこうなんだ」というこだわりを捨ててしまえば、どこからでもスタート出来るのにって。そう思う現場に出くわすことが多々あって。だから、若いミュージシャンがもしそこでもがいていたら、「ちょっとそのこだわり、捨てた方が作りやすいんじゃない?」って言いたいですね。

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