ローリン・ヒルが語る、アーティストの「名声」と「自己犠牲」

ローリン・ヒル(Photo by Anthony Barboza/Getty Images)



最もクリエイティブになれたのは妊娠期間中だった

ー『ミスエデュケーション』の制作に着手した頃、あなたはまだ22歳でありながら、ザ・フージーズのメンバーとして巨大な成功を収めていました。あなたは同作で何を成し遂げようとしたのでしょうか?

自分の存在を証明するという意味では、後で語られることになる広義でプライベートなストーリーの方がわかりやすいと思うけど、『ミスエデュケーション』で成し遂げたかったのは、フージーズと同じぐらいの成功を収めることだった。私がソロでやりたいっていう意向を表明した時、支えてくれるべき組織や人々からものすごく反対されたり抵抗されたりしたこともモチベーションになった。でも私がやりたかったのは、自分の力を証明するということよりも、自分がこの目や耳で感じ取りたいと願うものを自ら生み出すことだったの。この世界に存在すべきアイデアや概念やコンセプトがあり、私は見定めた方向へと進んでいった。当初は他のプロデューサーやアーティストと組むつもりだったけれど、私の頭にあった言葉や音が当時としてはあまりに特異で、それを形にするには別の人々が必要だった。より慣例的なやり方で生み出さなくてはいけなかったの。結果的にあの作品に関わることになった人々は、何もないところから曲が生まれていく過程を見届けた。とてもユニークで、エキサイティングな経験だったわ。



ー自分が最もクリエイティブになれたのは妊娠期間中だったと、以前あなたは話していました。その経験は、ソングライターとしての自分にどういった影響を与えたと思いますか?

大胆な発言だけど、妊娠期間中は基本的にそっとしておいてもらえたから。普段何かと要求してくる人々も、私が妊娠している間だけは気を遣ってくれてた。そういう平穏さの中で、私は自分がよりクリエイティブになれるのを感じていたの。『ミスエデュケーション』を作っていた時に、私は第一子を妊娠していて、とても複雑な状況に置かれている中で、私自身とお腹の中の子供が必要としていた平穏と安全を得るためにはどうすればいいかを必死で考えた。その経験は確実に、自分の可能性を押し広げてくれたと思う。それが自分を救うためでしかなかったなら、私はきっと身代わりを立てていたわ。その頃に、私の第一子の父親で、当時は家族を守ってくれる存在だったローハン・マーリーも世間から注目されるようになった。私が何かを生み出すのを妨害する人々や権力から、彼は身を呈して私を守ってくれていたの。

その頃は特に、私はポジティブな変化を先導する存在になりたいと思ってた。あらゆる曲の歌詞には、私たちのコミュニティが自ら未来を閉ざすことをやめ、内部と外部の障害を特定した上で立ち向かい、変革の引き金となる他者と自分に向けた愛の本当の力に気づいて欲しい、そういう思いが込められてた。そういう気持ちで歌うことで、私はその喜びと快感だけでなく、それまでの人生で経験した失望や苦難、それに教訓を分かち合おうとした。私は若き賢者として歩み始めたの。

Translated by Masaaki Yoshida

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