ピンク・フロイド初来日の衝撃とは? 「箱根アフロディーテ」目撃者が語る真相

大自然がもたらした奇跡のライヴ体験

さて、僕が箱根アフロディーテに行くことに関しては、最初から何も迷いは無かった。前記したようにフリーでロックのライヴの魅力に身も心もヤラレてしまった僕は、海外のロック・バンドを体験する事が最大の楽しみであり生き甲斐だった。それを金銭面で支えてくれた親には感謝しかないが、当時はまだロック系バンドの来日は1〜2カ月に一度程度だったので、何とか追いかけることが出来たのだと思う。

そんな僕にとっては3番目の海外ロック・バンド体験となったピンク・フロイドのステージは、新たな知覚の扉を開けてくれるような静かな興奮に包まれるもので、全てが新鮮で刺激的、それまでとは全く質の違う感動を覚えた特別な体験だった。何よりもまず箱根の野外会場という非日常性、そしてまだ長野新幹線のない時代、夜行急行で長野から上野経由で新宿に向かい、そこからバス・ツアー(全部で10数台ほどだったと思う)で初めて箱根に向かうというのもワクワクする新鮮な体験だった。



〈上〉筆者所有の「箱根アフロディーテ」チケット〈下〉『50周年記念盤』 特典の復刻チケット




「箱根アフロディーテ」全景写真

さすがに半世紀も前の事ゆえ、記憶も朧げで細部までは思い出せない事も多いが、入り口で配っていた虫刺され用のキンカンを手に会場に入ったことは覚えている。会場となった場所は、成蹊学園の寮がある芦ノ湖畔の約6万坪の乗風台だったことは後で知ったのだが、ステージがなだらかな斜面の上にあったことははっきりと覚えている。中に入ってからは出来るだけステージに近い正面の場所を目掛けて小走りで向かい、そのまま谷側のセカンド・ステージには一度も行くことなくピンク・フロイドの出番を待っていた。

僕が観た8月6日(初日)のメイン・ステージでは、1910フルーツガム・カンパニーとバフィ・セントメリーを観たことは覚えているのだが、出演したはずの日本人アーティストのことは、モップス以外はほとんど記憶に無い。その訳は恐らく、僕の記憶力の問題もあるかもしれないが、あまりにピンク・フロイドのステージが桁外れに鮮烈過ぎて、その記憶を消し去ってしまったからだと思う。当時のフライヤーには、どちらのステージに出たか分からないものの、トワエ・モア、尾崎紀世彦、かぐや姫、ハプニングス・フォー、成毛滋&つのだひろの名前があり、谷側のステージに出演した渡辺貞夫、山下洋輔、菊池雅章等、錚々たるジャズ・ミュージシャンの名前を見ることが出来るのだが、そのラインナップからしても、箱根アフロディーテをロック・フェスと呼ぶのは少し無理があるのではないかと今更ながら思う。

余談ながら、僕は行けなかったのだが箱根アフロディーテに対抗するように8月8日から2日間、近くの精進湖で日本のロック・バンドによる「精進湖ロックーン」というフェスが開催されていた。両方に出演したモップスとハプニングス・フォー+1の他、頭脳警察、裸のラリーズ、エム、スピード・グルー&シンキ、安全バンド、カルメン・マキ&ブルース・クリエイション、トゥー・マッチ、ブラインド・バード、ガロ等が顔を揃えたこちらの方が、間違いなくロック・フェスだったと思う。


「原子心母(箱根アフロディーテ1971)」ダイジェスト映像

それはともかくピンク・フロイドのステージは、始まる前のPAのチェックからして鳥の鳴き声を流すなど、自然環境に溶け込んだ音響で観客の期待感が高まる中、「原子心母」で始まった。恐らくスタート時間は夕方、5時半頃だったと思うが、まだ太陽の明るさが残る中でも音が出た瞬間、その透明感溢れる凛としたサウンドに会場の空気が瞬時に入れ替わったように感じられた。印象的だったのは最初、呆気に取られるように聴いていた観客が、20分を超える「原子心母」が終わったと同時に我に返るように大歓声と拍手が会場全体から沸き起こった事で、そこには心からの感動と驚きがあったのは間違いない。


「箱根アフロディーテ」霧に覆われた会場

そして1曲目が終わる頃には陽も翳り始め、風も強くなり始めた中で始まった『ウマグマ』からの「ユージン、斧に気をつけろ」と「太陽讃歌」の2曲は、更に会場全体を幻想的な空間に誘うのに相応しい選曲だった。加えて今度はまるでドライアイスとスモークを合わせたような本物の霧が徐々に山の上から降りて来てステージ全体を包み込み、当時はまだ未発表だった名曲「エコーズ」を演奏する頃には、高さのあるステージが一時的に雲の上に浮いているように見える瞬間もあった。その光景はとても現実とは思えないもので、ピンク・フロイドの音楽と自然の気象現象が織りなす、幻想的という言葉では物足りない奇跡のような場面に遭遇出来たことは、数多いコンサート体験でも忘れられない特別な思い出だ。

そしてそのまま最後の曲「神秘」が終わった時、あまりの寒さに身体が震えているのに気付いて現実に引き戻されたのだが、高原での野外フェスなど初めてだった僕は、半袖のシャツ一枚で出掛けた事を大いに後悔したのも今では良い思い出だ。

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