ザ・ビートルズ翻訳の第一人者、奥田祐士に聞くドキュメンタリー『Get Back』が特別な理由

(C)1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.

解散間際のビートルズが、「原点に立ち返る=Get Back」というコンセプトのもと、スタジオで行われたレコーディング・セッションと、自社の屋上でゲリラ的に開催された通称「ルーフトップ・コンサート」の模様を収めたドキュメンタリーシリーズ『ザ・ビートルズ:Get Back』が、Disneyプラスにて配信スタートした。

『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『キングコング』などの監督作で知られるピーター・ジャクソンによる全3部作、トータル8時間弱にも及ぶ本作は、アップルコアに残された57時間以上の未発表映像と、150時間以上の未発表音源を3年かけて洗い出し、最新AIなどを駆使して復元したその素材を時系列に並べたもの。そこにはビートルズの名曲たちがゼロから生み出され、完成に向かって進んでいく様子や、メンバーたちの和気藹々としたやり取りから「険悪な諍い」まで余すことなく収められており、ジャクソン監督がコメントしているように「まるで1969年にタイムスリップして、スタジオで4人が素晴らしい音楽を作っている現場に居合わせられるような体験」が味わえる全く新しい体験型のドキュメンタリー作品に仕上がっている。

そこで今回は、ビートルズのオフィシャル作品の翻訳を数多く手掛けてきた翻訳家・奥田祐士に、本作の見どころについてたっぷりと語ってもらった。



奥田祐士(おくだ・ゆうじ)
1958年、広島生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。雑誌編集をへて翻訳業。ビートルズ関係の主な訳書に『ビートルソングス』(ソニーマガジンズ)、『ビートルズと60年代』(キネマ旬報社)、『ザ・ビートルズ大画報』(ソニーマガジンズ)、『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』(河出書房新社)、『ポール・マッカートニー 告白』(DU BOOKS)など。2021年10月に公式書籍として刊行された『ザ・ビートルズ:Get Back』(シンコーミュージック:画像)にも携わっている。


─奥田さんは長年ビートルズ関連の翻訳に携わってこられましたが、今回このような形のドキュメンタリー映画が作られることは予想していましたか?

奥田:『ザ・ビートルズ:Get Back』が制作されるまでの背景として、1970年に公開されたマイケル・リンゼイ=ホッグ監督によるドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』をどうするか?という問題がありました。これまで何度も再発の噂が浮上しては立ち消える状況が続いていましたが、この重要なコンテンツをアップル・コアがそのまま放置しておくはずがないとは思っていましたから。

─そうですよね。

奥田:なんとなく予想していたのは、リンゼイ版『レット・イット・ビー』のレストア・ヴァージョンの公開と、ゲット・バック・セッションで残された膨大な音源をボーナストラックにつけた、アルバム『Let It Be』のリイシューという形です。そもそも『Let It Be』は、1970年リリース当時は写真集『The Beatles: Get Back』を収録したボックス仕様だったわけで。それも復刻されるのだろうなと思っていたのですが、蓋を開けてみたら映画は8時間弱のスケールアップした内容になったし、写真集もドキュメンタリーの公式書籍という形での出版(2000年に発行された「ビートルズ・アンソロジー」以来、2冊目の公式書籍)となるし。それには大変驚かされました。「うれしい悲鳴」と申しますか。



─ピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』は、映像の美しさにも度肝を抜かされました。

奥田:2000年にベストアルバム『1』がリリースされた時、リンゼイ版『レット・イット・ビー』から「Let It Be」の映像をレストアしていましたが、そこからまた格段に進歩していましたよね。ギターにかき消されている音声を、最新AI技術で抜き出したりしていて。ビートルズは現役時代からずっと、テクノロジーと共に進化してきたことを再認識しますよね。まあ、マジック・アレックスみたいな人物に翻弄されたこともありますが(笑)。

─解散間際のビートルズは、様々な憶測や噂も含めて様々なエピソードがありましたが、奥田さんは今回の映像をご覧になったり、公式書籍を翻訳したりしながらどんなことを考えましたか?

奥田:特に印象的だったのは、ジョン・レノンがアラン・クレインと会ったときの印象を、ジョージ・ハリスンに蕩々と話すところです(Part3 DAY19)。これは写真集にもドキュメンタリーにも出てきますが、一度会っただけのアランにジョンは完全に心酔しきっている。しかも、その会話はポールがちょうど用事があって席を外している時間に行われていたじゃないですか。「これはやばい、早くポール帰ってきてくれ!」とハラハラしながら訳していました(笑)。アランについてはグリン・ジョンズも、「確かにすごい男だが、問題の多い人間だよ」みたいなことを言って釘を刺すのだけど、ジョンは全く聞くを耳持たない感じでしたよね(Part3 DAY20)。

─その後の展開を知っているからこそ、「ああ、ここでこんな伏線が!」「ここがターニングポイントだったんだな」などと思うシーンがたくさんありましたよね。

奥田:本当にそうですね。クライマックスのルーフトップ・コンサート(Part3 DAY21)も、素晴らしければ素晴らしいほどその後の展開を知っているだけに、どうしてもほろ苦い気持ちになる。その一方で、明るい場面もたくさんありました。今回、改めてリンゼイ版『レット・イット・ビー』を見返してみたのですが、世間で言われているほど陰鬱な映画でもないんですよね。基本的には演奏シーンがほとんどで、メンバー同士でやり合うシーンもそんなになくて。そういう意味では今回の方が、今言ったようなもっとヤバいシーンがたくさんありますし(笑)、逆にもっと楽しそうなシーンもたくさんある。まあ、「バンドってそういうものだよな」と思わされます。

─リンゼイ版『レット・イット・ビー』における諍いのシーンは、当時はそれだけインパクトがあったということでしょうね。

奥田:あと、『ザ・ビートルズ:Get Back』をよく見ているとアラン・パーソンズもチラチラっと出てくる。のちに彼はアラン・パーソンズ・プロジェクトで世界的な大ヒット曲を作るわけですが、当時あの現場ではいちばんの下っ端なんですよね。思えばビートルズの初代エンジニア、ノーマン・スミスも自分でヒット曲を出していますし。そういう才能の塊みたいな人たちが、ビートルズの現場には集まっていたんだなあと。そのことも改めて思い知らされましたね。

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