クルアンビンらのベースから読み解く「休符」の役割、鳥居真道が徹底考察

先日、代官山にある「晴れたれ空に豆まいて」というライブハウスでライブをしました。こちらの音響がとても素敵で、忘れがたいライブとなりました。その日は宮田信さんがDJとして参加されていました。出番の前に客席でそのプレイを鑑賞していたのですが、選曲の素晴らしさが音響の素晴らしさと相まって、とても心地よく、かなりリラックスして本番に挑むことができました。特に心地よかったのが低音です。ベースラインによって体を揉みほぐされているようで、うっとりしたのでした。これぞまさに「音楽浴」。

低音の魅力は、ある程度音量を出して初めて感じられるものだと再確認した次第です。集合住宅に住んでいるので、家ではなかなか大きな音が出せません。自ずとヘッドホンを使うことが増えます。移動中はもっぱらイヤホンです。低音の振動を腰や背中で受け止める機会が少ないだけに、感動もひとしおといったところです。

先日、バンドでリハスタに入った際に、「ファンク・ベースの主体はあくまで休符である」という説を開陳しました。その場の思いつきだったのですが、我ながら正鵠を射ているような気がします。ファンク・ベースを聴くとなれば、やはり休符を味わいたい。

しかし休符を味わうとは一体どういうことなのでしょうか。食事が運ばれてくるまでの時間すらも料理の一部として味わってしまう食通的な世界のように感じる方もいるかもしれません。しかしそこまで大それた話ではないです。

休符というと、文字通り何も演奏せずにお休みする時間のような印象を与えます。しかし休符はリラックスして寛ぐべき時間ではありません。むしろ人々に緊張を強いる時間です。

全校集会で、先生から「休め」と指示を出されたら、私たちは背中で腕を組み、足を肩幅に広げます。これのどこが休めなのか。休めというなら床でゴロンゴロンさせてくれよ。なんでじっとして話を聞かなきゃいけないんだよ。かつての私はそんなことを考えました。休符は全校集会における「休め」の指示に近いものではなかろうか。

「緊張の緩和」こそが笑いのメカニズムだというすっかりポピュラーになった説があります。このメカニズムはファンクにも応用できるところがあります。ファンクは緊張と弛緩のダイナミズムによって推進力を得ていると言っても良い。この緊張にあたる部分が裏拍だったり、休符だったりするわけです。日常生活において、こうした休符の緊張感に近いものを味わってみたい場合は、道行く人に「すみません」と声を掛けてみて、その後に黙って何も言わないでみると良いかと思われます。こうした気まずい時間こそが休符に緊張感を与えているのです。

Rolling Stone Japan 編集部

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