Eidlo Allergyが語る、マニアックな構成とポップスの融合を目指す姿勢

―最初にギターを始めたときは、どんなきっかけだったんですか。

小学1年生ぐらいの頃に、僕がギターをやりたいと親に言ったらしいんですよ。それで、よくわからないんですけど、三味線教室に入らされたんです(笑)。

―なんでまた(笑)。

ギターの代わりに三味線教室に通ってたという感じですね(笑)。

―さすがに小1の子でも、ギターと三味線が違う楽器であることは気が付きそうですけども。

ギターじゃないのはわかりましたけど、同じ弦楽器の類だから、まあやってみようかなと思ったんだと思います(笑)。それで、小6ぐらいまでやってました。

―結構長い期間やってたんですね。そこで譜面も読めるようになったんですか。

いや、ギターで言うタブ譜みたいなもので演奏していました。でも三味線じゃなくて、やっぱりギターが弾きたくて、いとこにもらったギターを弾き始めました。

―「これ三味線じゃん!」って、ノリツッコミ風にギターに戻っていった感じ?

そうですね(笑)。

―ギターは、最初はどんな曲から練習したんですか。

トータス松本さんの「マイウェイ ハイウェイ」がAとDのコードしか出てこなくてすごく簡単だったので、やってみようと思って練習していました。

―三味線を習って、ギターを弾くようになって、パーカッション、ドラムを叩くようになっていくうちに、「自分はこういう音楽を作りたい」というものが浮かんできたのでしょうか。

小学4、5年生ぐらいの頃に、ゲスの極み乙女。が流行り出したんです。初めて聴いたときに、「すごく変わった音楽だな」って思ったんですよ。それで、川谷絵音さんの別バンドindigo la Endの「さよならベル」を聴いたときに、こんなにメロディとしてギターが鳴ってる曲は聴いたことがないなって、衝撃を受けたんです。そこから、ギターでメロディが鳴ってる音楽をやってみようと思ったのが、曲作りのきっかけですね。

―具体的にどうやって曲作りを始めたんですか。

中1頃から徐々にやり始めたんですけど、MTRと電子ドラムを買って、リズムとギターを重ねたりして曲にしていきました。いろいろ作っていこうと思っていたんですけど、最初は全然うまくいかなくて。ASIAN KUNG-FU GENERATIONっぽい曲、THE YELLOW MONKEYっぽい曲という風に、自分の曲として作るんじゃなくて、曲のオマージュみたいなものを作っていました。

―それは、歌が入る前提で最初から作っていた?

歌のメロディはなかったんですけど、メロディを乗せてもいいような感じで楽器を詰めていく感じで作っていました。

Rolling Stone Japan 編集部

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