ーそのあと、竜静さんの高校の軽音部の先輩である鹿又さんに声をかけたそうですが、どうしてバンドに誘おうと思ったんでしょう。
竜静:僕は中学校からあきとバンドやっていたので分かるんですけど、趣味の範疇を超えて楽器をやっている人っていなくて。彼(鹿又)は休憩時間も延々とドラムの練習をやり続けていて。
鹿又:みんなめっちゃ弁当食っていたのに、俺だけ叩いてましたね(笑)。
竜静:僕も休み時間を使って練習していたので、フィーリングが合ったというか。君いいじゃん!って言って(笑)。
陽報:てる(鹿又)のほうが先輩なのにね(笑)。
ー(笑)。鹿又さんの音楽ルーツはどういうところにあるんでしょう?
鹿又:洋楽のパンク系ですね。Sum 41とかグリーン・デイとかゼブラヘッドとかを聴いていて。軽音楽部に入ってから日本のバンドも聴くようになりました。
陽報:当時、Sum 41を叩きすぎて、あだ名がサムだったんですよ(笑)。俺のクラスにこいつ(鹿又)のことを知っている人がいて、俺が「バンド組むかもしれないんだよね」って言ったら、「あ、サム?」って言われて(笑)。
ーあははは。当時から、音楽で食っていく気持ちはあったんでしょうか。
陽報:父親が電気工事士をやっていたんですけど、親父が仕事をしたパレードを観に行ったとき、周りの若いカップルや家族が「綺麗だね」って言うところを見て、あー親父すげーなと思って。今でも1番尊敬している人は親父なんですけど、そこからずっと電気工事士を目指していました。でも、ギターを始めた瞬間、「あ、俺これで食っていくんだ」と思って。電気工事士の試験も並行して受けたりはしていたんですけど、音楽で食っていきたいなって思い始めてから、じわじわと確証のない俺は売れるという自信が湧き出てきた感じでしたね。