大切なことはスケートボードから学んだ Wu-Luの音楽が「何でもあり」になった理由

 
スケートボードと「とっ散らかった音楽性」

―さっきストックウェルの名前が出ましたが、あなたはスケーターでもありますよね。あなたの音楽は様々なジャンルが入っていて、ものすごく自由ですけど、それってスケートボードのカルチャーとかなり関係があるんじゃないかと思ったんです。

Wu-Lu:音楽というよりはコミュニティ的な側面かな。そこではみんながしょっちゅう「コミットしろ!」って言うんだ。考え方としては、例えばストレスを感じたり、ムカついたり、悩みを誰かに打ち明けたいって時に、そのコミュニティに行けば、ひとつのちゃんとした考え方を教えてもらえる。全くフィルターがかかってないからね。はぐらかそうとする人はいないんだ。あのコミュニティは、まあ一つの大きなギャングみたいなもんで……説明が難しいけどね。

それに基本的にはみんな我関せずで、自分がやりたければただやるっていう感じなんだ。だから、俺が音楽をやる時もそうだ。誰かが「もうちょっとこうすればいいじゃん」とか言っても、俺は気にしない。あくまで自分が好きなものにコミットするんだよ。自分が一日中キックフリップをやっていたかったらやり続けるまでで、誰の指図も受けない。電車を描きたかったら描くし誰にも文句は言わせない。「そうだ、やれ、やっちゃえよ!」っていうことだね。そういう部分を自分の創作に取り入れてやってきたと思う。つまり従わないってことだよ。

スケートパークってどんなにだらしない格好で行っても、誰もそれで俺を判断したりしないんだよね。学校だと「何でそんな汚いトレーナー着てんの?」とか「そのツンツン頭どうしたの、変だよ」とか言われるんだけど、スケートパークでは何でもアリ、何を着てても何を食べてても、黒人でも白人でもアジア人でも女でも男でも何でも。共通点は、車輪がついた木の板を使うってことだけなんだよ。そして、それこそが心を開いて無防備になれる空間を生み出しているんだ。無防備ってことは大怪我する可能性もあるんだけどさ。例えばオーリーが上手くなりたくてひたすら練習したり。いいコミュニティでいい人たちに囲まれていれば、みんなが応援してくれる。


スケートボード愛が反映された「Times」のビデオ、演奏にはブラック・ミディのモーガン・シンプソン(Dr)が参加

Wu-Lu:この間久しぶりに会った友達がいるんだけど、そいつが「スケートボードでめちゃくちゃスピード出すと、頭がスッキリするよな」って言ってたんだよ。その頃、彼はメンタル面でちょっとキててね。でもそいつが言ったその一言でわかったんだよ。スケートボードをやると頭がスッキリして考えがまとまるっていう、そこの重要さがね。だから、もっとスケートボードをやるべきだと思うし、変なこと考えてないでスケートしろよってことだよ。

それは俺の音楽にも言えること。ごちゃごちゃ考えてないで、ギターを弾くなりスタジオに入るなり音楽コミュニティの友達に会うなりしろってことなんだよ。あるとき、俺のアルバムでも演奏してる連れのマックと会って、2人でギターをめちゃくちゃラウドに鳴らして、延々弾いてたことがあってさ。そこでジョーがジャンベを叩いてたんだけど、あまりに激しく叩くから、ジョーの足が震えてきてさ。でも、ジョーはテープで足を固定して叩き続けたんだよ。それってスケートボードでも同じなんだよね。ジョーはかなりヤバいスケーターでもあるんだけど、このあいだ足首を痛めちゃってたみたいで。だから俺は「ジョー、スケートやめとけ」って言ったんだけど、あいつは「いや、俺はやる!」って言ってさ。その時の彼にとってはスケートが必要だったんだ。つまりそういうことなんだよ。恐れないってこと。自分の持てるすべてを注ぎ込んで、何かが自分に返ってくる。俺にとってはそういう部分で、音楽とスケートボードがぶつかるんだ。



スケーターが愛したパンク/ヒップホップ名曲をまとめたプレイリスト

―「スケートボードと音楽」と言えば、スケーターのビデオでBGMとして使われていたパンク・ロックの存在が大きかったと思います。90年代以降のビデオではヒップホップも多く使われるようになり、ミクスチャー的な音楽も使われるようになりました。そういったスケートに合う音楽、トリックを引き立てる音楽からはどんな影響を受けましたか?

Wu-Lu:そもそも俺はグランジャーとして育ったんだよ。学校には昔ながらのトライブ・メンタリティみたいなものがあって、「お前は何者だ?」ってことを必ず訊かれるんだ。そういう時は「俺はグランジャーだ」と言ってやった。でもそれと同時に、母親がダンサーだったから、俺はヒップホップやサルサを聴いて育った。親父はトランペットをやるからレゲエやアフロビート、フェラ・クティ、ソウルも聴いてきた。だから、ロック・ミュージックにハマったというのは学校における自分の立ち位置によるところが大きくて、あのときは家族と聴いてた音楽についてあまり話せない気がしたんだよね。

でも、2006年くらいに『トニー・ホーク プロ・スケーター2』ってゲームをやり始めて、あのゲームの音楽が新たな世界を開いてくれた。スケートはパンク・ロックだけじゃないんだって思えたからね。スケーターでも他の音楽に興味を持ってもいいんだと。




Wu-Lu:それからレミーって友達とつるむようになって。そいつはめちゃくちゃゴリラズ好きで、しかもスケートもやっていた。しかも彼もブラウンで「こいつは俺みたいだな!」となってね。あっちはレゲエやダブとかヒップホップが好きで、俺はパンク・ロックやグランジとかメタル好き。それで彼と会ったりゲームの音楽を聴いたりするようになったら、自分が好きなものを人に話すことがかなり楽になったんだよね。

ブーンバップ系のヒップホップは、俺にとってめちゃくちゃデカかったんだよ。9歳……いやいや10歳だ、その頃『SCRATCH』って映画を観て超ハマったんだ。それでレコードを買ってきてスクラッチしまくってさ。その頃にブーンバップっていうものが俺の頭に浸透したわけ。だから『トニー・ホーク プロ・スケーター』とかあの辺のゲームは、ロックもヒップホップもあらゆる音楽を好きでいいんだと、そして好きであることに自信を持っていいんだと思わせてくれたんだよね。つまり、自分がどこに属しているのかわかったんだ。

俺はマッドリブが好きで、DJシャドウが好きで、スケートボードが好きで、飛び回るのが好きで……あとはスリップノットがすごく好きだった。あのジャングルとヒップホップが混ざった感じがね。あとフューネラル・フォー・ア・フレンドが一瞬好きになったけど、「いや、やっぱ違う」と(笑)。とにかく、俺は今挙げたような自分が好きなものの最高の部分を持ってきて、自分のどんぶりに入れて、そして自分の音楽を作って今に至るんだ。俺の背後には無差別にいろんな音楽がある。とっ散らかってるのが俺の音楽なんだ。


Translated by Akiko Nakamura

 
 
 
 

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