大切なことはスケートボードから学んだ Wu-Luの音楽が「何でもあり」になった理由

 
ジャズのコミュニティ、地元ブリクストンで学んだこと

―あなたはロンドンのジャズのコミュニティとも接点がありますよね。「A London Dance new Movements In Jazz」というロンドン・ジャズシーンのドキュメンタリーにも出演していました。

Wu-Lu:あのシーンは何と言うか、気づくと自分の住む地域で起きていたんだよ。あのシーンに関わっている連中の多くが、サウスロンドンにあるトリニティって音楽学校の出身でね。みんな同じ地域の出身で、同じように音楽が好きな仲間だったんだ。俺はジョー(・アーモン・ジョーンズ)やヌバイア(・ガルシア)、ポピー(・アジューダ)より少し年上で……ちなみに、ポピーのことはかなり前から知ってる。昔のポピーはめちゃくちゃ髪が長かったんだよ。当時の彼女のボーイフレンドと俺とで、Lambeth Country Showでレゲエを聴いたりしてさ。それが今じゃ超ビッグなポップスターだ。クレイジーだよ(笑)。

それはさておき、俺が18歳くらいの頃……だから2008年かな。Illersapiensっていうブリクストン出身のヒップホップ・バンドがいて、その人たちがRitzyってところでSoul Jamというイベントをやってたんだ。1年か2年くらい続いたのかな。そのイベントは無くなったんだけど、今度はオスカー・ジェロームとかジョー・アーモン・ジョーンズがやってたSumoChiefってバンドが出てきて、彼らがSoul Jamを引き継ぐような形でジャム・セッションを始めたわけ。ちょうどSteezっていうイベントが始まったのと同じ頃だったんだけどさ。そっちもいろんな人が集まる場所だったね。

Soul Jamはもともとヒップホップのセッションだったんだけど、SumoChiefはその影響を受けつつさらに発展させていった。俺はSoul JamのレジデントDJだったから、その変化に気づいたし、そこからだんだん顔馴染みが増えていった。そいつらとはよく行く場所が同じだったから一緒に過ごすようになって、それから一緒に音楽を作るようにもなった。俺たちがやっていたのはストレートなジャズじゃなくて、考え方としては「即興でインストをやる」っていうこと。ボーカリストやラッパーを入れずに、そこで演奏されている音楽を聴かせるってことだね。この間もそれについて誰かと話したんだけど、俺が子どもの頃に18歳くらいだった大人は、サックスを吹いてるやつがフロントパーソンをやるなんて見たこともなかったって言うよね。いたことはいたのかもしれないけどさ。でも、今じゃインストゥルメンタルが前面に来るのにもみんな慣れたよね。

あとは、みんなリュイシャム、ブリクストン、ペッカム辺りに住んでたから、それで交流が盛んになっていろんなコラボレーションに繋がった。俺のアルバムでコラボしているのも、その時にその場にいた連中ばかりだ。あのシーンもそういう感じだったよ。



―自分で演奏もDJもやっていたと。あなたはエンジニアでもありますよね。ザラ・マクファーレン『Songs Of An Unknown Tongue』やプーマ・ブルー『In Praise Of Shadows』ではプロデューサーとしてだけでなく、エンジニアとしてもクレジットされています。あなたのサウンドの個性的な質感や空間性は、録音やミックスにも理由があるのかなと思いますが、どうですか?

Wu-Lu:俺はとりあえず全部ブッ込むタイプなんだ。ブッ込むとすぐに面白くなってきて、その段階ではサウンドがどうかはそれほど考えてない。それよりもできるだけ早くアイデアを出そうって感じだね。しかも、それを別の形で使ったり、形を変えたりもする。時にはめちゃくちゃ変なやり方でレコーディングしたり、別の角度から曲を見たり。あるいは途中で違うアイデアが浮かんできたりね。「ここにドラムも入れるべきなのかもしれない」とかさ。

俺はかなりザラついた感じの音が好きだから、俺と一緒にやってるプーマ・ブルーとか、ザラ(・マクファーレン)もエゴ(・エラ・メイ)はもしかしたら、そういう部分に惹かれてくれたのかもしれないね。俺は曲に名前をつけたりラベルを貼ったりするよりも、とにかく行け、行け、ゴー、ゴーっていう容赦ないエネルギーを大事にしている。余分な調味料はあとから考えるんだ(笑)。メロディにディストーションがかかりすぎてしまって、でも元のメロディは良いんだよなってと思ったら、そのメロディを活かすようにするけど、ディストーションがかかりすぎてるほうも残したくて超小さい音で使ったりね。とにかく、エンジニアをやるのはすごく楽しかったし、本当にいい時間だったよ。

プーマ・ブルーのジェイコブ(・アレン)には音楽的にめちゃくちゃ共感している……特にメランコリックな部分に関してね。俺は常にドラムをダーティーでファットでクランチーにしがちだけど、全員がそれに同意してくれるわけじゃないから(笑)。ザラはそれまでと全然違うことを試したくて俺と組んで、たぶん実際にそうなったんじゃないかと思ってるよ。



―ブリクストンに話を戻すと、ウィンドラッシュ世代が住み始めた場所なので、歴史的にカリブ系の人たちが数多く住んでいた場所でもありますよね。そこでは3度の暴動があって、そのことはクラッシュやブラック・ウフルの音楽を通じて世界中で知られています。そういう歴史的な背景は、自分にどんな影響を与えていると思いますか?

Wu-Lu:これは俺が常に言ってることなんだけど、何かがどこへ行くのかを知るためには、それがどこから来たのかを知らなければならないんだ。さっきの話と繋がるけど、俺のじいちゃんは船でここにやってきて、ばあちゃんは飛行機で来た。でも、彼ら、あるいは彼らと同じ世代の人々が、彼らの子どもとか俺のような未来の世代のためにやったことに対して、俺たちは敬意を払ったりオマージュすることが必要だと思うんだよ。彼らの物語が忘れられないようにすることは重要だと思う。俺は必ずしも自分の音楽で露骨にそういう歴史について語っているわけではないんだけど。彼らがロンドンに持ち込んだものっていうのは……『バビロン』っていうレゲエの映画があって、サウス・ロンドン、ニュークロス、ブリクストン辺りが舞台なんだけど、ジャマイカ第一世代の人々についての映画なんだよ。彼らの両親がロンドンにやってきて……ああだから第二世代になるのか。とにかく彼らと一緒にやってきたのが、例えばサウンドシステムのカルチャーだったり、彼らが持ち込んだものがその地域の基盤に組み込まれていったんだ。

俺にとって(自分の)「South」って曲が重要なのは、変化を余儀なくされた地域について語っているからなんだ。もはや健全でない何かへと洗練されている。ウィンドラッシュ世代が他の国から地域に持ち込んだものがブリクストンには本当にたくさんあるのにね。そして今じゃブリクストンはクールな場所で、みんなが関わりたいと思っている。でもそれは例えるならサトウキビのようなもので、最初は未加工で栄養価が高いんだけど、それを精製してまた精製して白砂糖にすると、もはや身体に悪いっていうね。俺がブリクストンに対して感じるのはそういうことだよ。この地域が出来上がって、豊かになったら、誰かが外からやって来る。でも何かを取り除いてしまったら、もうそこは違うものになる。まるで心臓を取り出したみたいにね。

とにかく俺の音楽と育った地域、それが曲作りに与えた影響について言うとすれば、俺は常に感覚や思考や感情、あとは楽しかった時を思い出させるようなことを大事にしてるってことだよ。



映画『バビロン』リマスター版は、9月2日~15日開催の「Peter Barakanʼs Music Film Festival 2022」で上映予定

―地元の若者を育成するための音楽ワークショップを開催したり、団体を通じて教育活動を行っていますよね。それらを行うようになったきっかけは?

Wu-Lu:まず高校を卒業してギャップイヤーがあった。最初は大学に行くつもりだったんだよ。でも色々あって結局行かなくて「ああ、そういえば本当なら今頃は大学に行ってたんだな」と思ったりしていたんだ。そしたら親父が「ブリクストンにRaw Material Music and Mediaって場所があるぞ」って教えてくれてね。Raw Materialはスタジオの仕事をしたい20代前半くらい向けに、数カ月間給料をもらいながら経験が積めるっていう職業紹介所みたいなものなんだけど。それで当時、そこを運営していたティムがものすごく俺を応援してくれたんだよ。

そのうち「君も自分のコースを作りたくない?」と言われて、俺は「もちろん」となった。当時は小さいグループで動きながら、イベントとかダブステップのパーティーをやったりしてた頃だった。だから俺はブリクストンのキッズ向けに、イベントの開催方法やチラシ作り、自分が好きなアーティストでラインナップを組む方法を教えるコースを作ろうと思ったんだ。自分でやりたいことがある子には、その子に音楽業界のことを教えてくれるメンターを見つけたり、写真が好きな子だったら、俺の「South」のビデオを撮った友達のデニーシャをクラスに招いて教えてもらったりって感じ。イベント開催、プロデュース、ラップ、歌についても同じような感じで、俺の友達を総動員して、それぞれの得意分野でやってもらって、俺はそれを見守ったりしていた。でもメインはLogicの使い方、音楽の作り方とかビートの作り方とかを教えてた。最初のコースがすごくうまくいって、そのあと結局Raw Materialでフルタイムで働くことになり、それからは非公式とも公式とも言えない講師になった。

あのとき12歳くらいだった教え子が、成長して大人になったりしてるから驚くよ。なかにはかなり親しくなった子もいるね。俺は気さくな方だし、結構アドバイスを求められるんだ。もちろんアドバイスはするけど、かなり率直に思ったことを言うことにしている。子どもたちによく言ってたけど、「俺は先生じゃなくて人間だよ」って考えだから。俺の意見が聞きたいなら正直な意見を言うけど、質問している君の意見も同じくらい正当な意見なんだって言ってたよ。だから俺は相談相手みたいな役割であり、音楽制作の講師でもある。ある種のカウンセリングみたいになって、1人の子が来て少し話してどっか行って、また来て20分話していくとかさ。家のことを話しに来る子もいれば、話はいいから曲を録音して学校の友達に聴かせたいってやつもいたし。

とにかくやってみて思ったのは、コミュニティにおけるそういった役割がいかに大切なものかってこと。そうやって自分の胸のうちを誰かに打ち明けられる場所や、相談できる相手はあまり多くないからね。だから俺はできるかぎり、興味がありそうなやつに音楽を聴かせたり、ステージに上げたり、スタッフに加えたり、自分にできることがあればやることにしている。それが自分の役割だね。


Wu-LuによるDJワークショップの様子(2013年、Raw MaterialのFacebookページより引用)


Raw Material Music and Mediaの紹介映像

―最後に、デビューアルバム『LOGGERHEAD』は自分にとってどんな作品になりましたか?

Wu-Lu:どうだろうな……とりあえず、船は出港した。俺の気持ちは海の上だよ(笑)。ついにリリースしたっていうのがすごく嬉しいし、もっと音楽を作ってもっと出したい。とにかくこの形になったことにすごく満足だね。こうやって今君たちと話せていること自体が俺にとっては大きな達成だしさ。自分が言いたかったことを言い切った感じがあるし、それを手放したような気がする。そして今は次の旅への準備ができた。何とも興味深いね。全員が好きになるわけじゃないだろうけど、それはむしろ望むところ。実際「全部めちゃくちゃ好きだけど、ちょっとあの曲だけよくわかんない……」とか言うやつもいるし、そう思えてもらって嬉しいんだ。俺の音楽は誰にとっても耳障りのいいものであってほしくないから。それに自分の目標は達成できたと思っている。それは聴く人に何かを感じさせること。たとえそれが抵抗感でも、楽しさでも、疑問を持つことでもね。だから、うん、何だろうすごく……感情が込み上げてくるね。変な感じで、いい気分で、クレイジーで、やっとできたって気分だ。

そうそう、日本に行ったらタワーレコードに行きたいってマネージャーに話してるんだ。だからすぐ会えるかも、じゃあね!






Wu-Lu
『LOGGERHEAD』
発売中
内盤CDにはボーナストラック追加収録
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12789

Translated by Akiko Nakamura

 
 
 
 

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