吉田拓郎、70年代に自ら幕を引き新しいことに挑み続けた40代の軌跡

この『俺が愛した馬鹿』が出た1985年は、拓郎さんが39歳。30代最後の年だっただけではなくて、日本の音楽シーンのものすごく大きな転機の年だったんですね。その一つに、この後お話しする「ALL TOGETHER NOW」というイベントや、拓郎さんが3度目のオールナイトイベントを行ったりした年でもありました。



1984年10月発売のアルバム『FOREVER YOUNG』から「大阪行きは何番ホーム」。いろんな気持ち、いろんな思いを吹っ切って、畳み掛けるような字余りソング。これぞ拓郎節と言っていいでしょうね。私も含めて拓郎さんを好きな人、拓郎ファンと呼ばれる人は、これが一番好きだという方が多いんではないでしょうか? 「家を捨てたんじゃなかったのか」という叫びですね。拓郎さん、38歳。反抗的だった若者たちが、40代直前にどんな心境になったか。若かった頃の理想とか価値観は、現実の前で脆くも崩れたり、志を曲げなければいけない場面がたくさんあった。反抗的で家を捨てようと思った若者も家族を持つようになった。そんな年齢でもありました。

音楽シーンが激変した年でもあります。1985年6月に国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」というイベントがありました。国立競技場が初めて音楽に使われた。6万5000人、7万人近い人が集まった。司会が拓郎さんだったんですね。オフコースとか、サディスティック・ミカ・バンド、サザンオールスターズ、佐野元春さん、チューリップとか、70年代の世代と80年代の世代が出会った。はっぴいえんどが12年ぶりに再結成された。そんなイベントだったんですね。

このイベントを細野晴臣さんは「ニューミュージックのお葬式」と、ちょっとシニカルに言いました。70年代に幕を引くという、そんなイベントに思われたんでしょう。僕はバトンをタッチされたと思ったんですね。この70年代にどうケリをつけるかが、80年代半ば、70年代に活躍した人たちの一つのテーマだった。

拓郎さんが個人で催したイベントがありました。85年7月27日から28日にかけてのオールナイトイベント「ONE LAST NIGHT IN つま恋」。その話は、この曲の後にお聞きいただこうと思います。アルバム 『FOREVER YOUNG』からもう1曲、拓郎節の曲です。

Rolling Stone Japan 編集部

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