吉田拓郎、70年代に自ら幕を引き新しいことに挑み続けた40代の軌跡



さっきお話した「ONE LAST NIGHT IN つま恋」というイベントは、7月27日の午後5時から始まって、延々一晩中行われたんですね。次の日の朝、太陽が昇ってもまだ演奏が続いていた。この日は、かぐや姫とか、 愛奴とか猫、新六文銭、70年代に拓郎さんに縁のあったバンドが再結成したイベントでもあったんですね。拓郎さんが歌った曲がなんと72曲です。最後の曲は、「明日に向って走れ」だった。拓郎さんはこのイベントの前に、生涯最良の日にしたいとずっと言っていたんですが、70年代の盛大な同窓会、それこそ70年代に幕を引く。そんなイベントでもありました。この「7月26日未明」は、「人生を語らず」の30代編とも聴けるのではないでしょうか?

自分の30代にけじめをつけて、70年代の幕を引いて、40代になったんですね。40代最初のアルバムが86年9月に出た『サマルカンド・ブルー』で、加藤和彦さんがプロデュースして、全曲安井かずみさんが詞を書いた。レコーディングが、ジョン・レノンが亡くなったNYだったんですね。拓郎さんはボーカリストに徹したんです。曲も10曲中7曲しか書かなかった。つまり40代は違う形で迎えたい。1人のボーカリストとして、もう1回始めたいということだったんでしょう。新しいことに取り組んでいる、40代。コンピュータ打ち込みのアルバム。80年代後半のアルバムは、全曲自宅録音でベーシックが作られたアルバムが続きました。

当時のインタビューでは、やり尽くしたという発言がたくさんありました。俺のやることはやったんだ、もうやることがないんだ。ツアーは1988年、そして89年に、初めて東京ドームのステージにも立つんですね。そうやって考えると、どうやって新しい時代を迎えるか、どうやって次の自分であろうとするかを、ずっと問い続けてきた人でもあるんだなと改めて思ったりもしております。90年代になってから制作されたアルバムから2曲をお聴きいただこうと思います。91年6月のアルバム『detente』の中の「たえなる時に」、92年7月のアルバム『吉田町の唄』から「吉田町の唄」。

Rolling Stone Japan 編集部

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