J・ディラを支えた敏腕エンジニアが語る「伝説の裏側」「音作りの秘密」「マカヤの凄み」

 
マッドリブとJ・ディラの伝説的エピソード

―Stones Throwの作品にはレーベルカラーとも言うべき独特の質感があると思います。あなたの貢献に依るところも大きいと思いますが、Stones Throw独自のサウンドとはどんなものだと考えていますか?

デイヴ:レーベルを運営しているクリス(ピーナッツ・バター・ウルフ)と、それについて話したことがある。一緒にやってきて気づいたのは、彼らが「完璧じゃないもの」を好むということだった。どことなくブロークンなサウンドを好み、ビートは細かいところまで決まっている必要はなく、それはチューニングやサウンドのプレゼンテーションについても当てはまる。こういった傾向の多くは、マッドリブに由来するものだと思う。

マッドリブの音楽にはカオスなサウンドがたくさん詰まっている。僕は手伝うようになってから、彼のサウンドを風変わりにしている要因が何なのか分析した。そこから自分が知るテクニックを駆使することで、もっと混乱したものにしてやろうと考えた。

―というと?

デイヴ:平たく言うと、「いかにサイケデリックなものにするか」という発想だね。コンプレッサーを使ってキックドラムに破裂しそうな勢いを持たせ、強烈なハイエンドによってリスナーの耳を惹きつけるようなものに僕は仕上げた。さらに、アナログだけではなくデジタルなものも含めて、様々な機材やエレクトロニクスを用いたトリックを駆使することで、奇妙な息遣いやフィーリングを作り出した。

僕が初期Stones Throwで手掛けたヒップホップのレコード、J・ディラやマッドヴィリアンは、全てマッドリブ・サウンドの延長線みたいなところがある。僕らは互いにフィードバックを及ぼし合いながら、あの時代のサウンドを作り上げていった。ただ、あのときの僕らは「レーベルのサウンド」というものが、当時のLAのあの場所からから生まれていたということに全く気づいていなかった(笑)。


マッドヴィリアン『MADVILLAINY』(2004年)


J・ディラ(当時はJay Dee)とマッドリブのコラボ作、Jaylib『Champion Sound』(2003年)

―そうやって生まれたStones Throwのサウンドが、世界中のミュージシャンに影響を与えるようになったわけですよね。

デイヴ:マカヤが僕のところにやってきた理由の一つは、「あのサウンド」を求めているからだと思う。マッドリブが2000年代初期にやってきたことに、マカヤがインスパイアされていたのは明白だったからね。だから、彼は(『In These Times』を)ミックスする段階で、ああいったサウンドに通じる息遣いや迫力のあるコンプレッションを音楽やビートに与えていた。

とはいえ、実際のミックスでは、そういったサウンドは半分程度に留められ、残りの半分はオーケストラなどを中心にハイファイなサウンドに仕上がっている。マカヤの新作における僕の仕事は、Stones Throw的なサウンドを与えすぎないことでもあった(笑)。具体的にはビッグなサウンドに仕上げつつ、彼が作ってきたものはそのままにして、過剰な作業を施さないように心掛けた。

―マッドリブは別名義も使い分けながら、ジャズ系のプロジェクトにも取り組んでいましたよね。イエスタデイズ・ニュー・クインテットや『Shades Of Blue』(2003年)でのビートメイクと生演奏が融合したサウンドも、マカヤに影響を与えていると思います。これらの作品を手がけたときの話を聞かせてください。

デイヴ:僕が当時考えていたのは、とにかくクレイジーで熱狂的なサウンドにすること。当時のLAのナイトクラブ、特にFunky Soleでは誰もが7インチのヒップホップをプレイしていた。そこでは即座に興奮してクレイジーになれるサウンドが求められていて、それは彼ら(マッドリブなど)が自身のレコードをプレイするうえでも同様に必要な要素だった。だから細やかに作りこむことは求められず、迫力のあるベースがあれば良かったんだ。

そういったジャズのレコードでは、ルディ・ヴァン・ゲルダー(Blue Noteサウンドを生み出したエンジニア)によって礎が作られたアナログな録音が求められた一方で、僕らは使える技術をすべて駆使していた。デジタルのマルチバンド・コンプレッション、パンニング、アナログ・コンプレッサーといった具合にね。それでいてデジタルでハイエンドなものも使いたい放題で、軽さとは無縁のクレイジーなサウンドになった。

―だからこそ、ビンテージな質感なのに新しい音楽に聴こえたわけですね。

デイヴ:当時の僕らは誰一人として、それらのアルバムが後年のヒップホップやジャズのシーンにおいて、ここまで影響力を持つことになるとは考えていなかった。ただ単に、楽しみながらやっていただけとも言える。スタジオだけではなく、車のなかで聴いてみたり、クラブでDJをしてみたりと様々なチェックを経て「これなら世に出してもいいだろう」というサウンドに漕ぎ着けていった。かなり革新的だけど楽しくて、そこにはルールが存在しない時間が流れていた。今になって聴き返すと、そこまでハイファイではない部分もあるかもしれないけど、繰り返し聴きたくなる楽しいサウンドが詰まっているよね。


イエスタデイズ・ニュー・クインテット、デイヴは2作目『Stevie』(2004年)のマスタリングを担当




Joe McDuphrey Experience、Ahmad Millerはマッドリブの別名義(共に2003年)

―J・ディラについても聞かせてください。『The Shining』や『Donuts』(共に2006年)には、特有の空間的なサウンドがありますよね。彼の作品をマスタリングしながらどんなことを経験したのでしょうか。

デイヴ:僕はディラが当初、クリーンでブーンバップな音、それこそ彼がファーサイドなどと90年代に作っていたサウンドを求めているのかなと勝手に思っていた。でも、一緒に作業していたら「それは違うよ。俺が求めているのはLAのサウンドだ。もっとマッドリブ的なサウンドを取り入れようぜ」という感じだった。ディラは自分が何を求めているのか、はっきりと把握していたんだ。

あのスペイシーなサウンドについても、彼とのミキシングから多くのことを学んだよ。『The Shining』に収録された「Won’t Do」をミックスしたときのエピソードを話そう。ディラが「このディレイをキーボードに試してみて。付点8分をこちら側のスピーカーに振って、8分音符のディレイを逆側に振ってみたりするのはどう?」と言うから、ハードにパンニングして空間をワイドに扱った。彼は僕の後ろでソファーに座りながら「こういうのをトライしてみてよ」って次々に指示していた。まるでヒップホップ界のアマデウスだったよ。僕がサウンドを形にする前から、彼の頭のなかでは完成形の音が鳴っていたんだ。

―すごい話!

デイヴ:それでいて彼は、僕なりの仕事をすることも許してくれた。彼がマッドリブ的なサウンドを想定してビートを作ったとき、ミキシングの時点で迫力が足りなかったことがあってね。「どうやったらエネルギッシュになると思う?」と言われたから、僕は「こういうトリックはどう?」って感じで、Pro Tools上でハイハットに隠れるようにキックドラムを抑えるトリックを施してみた。僕はハイハットやハイエンドなパートを作り込むことで、マッドリブがサンプラーのSP-808で作ったビートに通じる、グルーヴィーなフィーリングを持ち込んだのさ。そんな感じで、僕とディラは互いに影響を与え合っていたところがある。僕がマッドリブとやってきたことがJ・ディラに影響を与え、僕自身もJ・ディラの手法から多くを学ばせてもらった。



Translated by Tommy Molly

 
 
 
 

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