ブルース・スプリングスティーンが語る最新R&Bカバー集、ツアーの展望、さらなるアーカイブ企画

 
ソウル/R&Bカバーに取り組んだ理由

―ニューアルバムについてですが、今回のアルバムとは全く違う楽曲をレコーディングしたものの、リリースを見送ったとお伺いしました。お蔵入りになったアルバムも、ソウルやモータウンの作品だったのでしょうか。あるいは新たなジャンルに挑戦した実験的なアルバムだったのでしょうか。

BS:「俺は曲を作り、ビデオも作ってきた。でも今は家でじっとしているだけだ。レコーディングがしたい。自分のお気に入りの曲を、ちゃんとした形でアルバムにしたい」というところから始まったのさ。プロデューサーのロン(・アニエロ)には、「アルバムを作りたいが、俺は歌に集中したい」とリクエストした。ギターやキーボードを時々弾いただけで、レコーディングのほとんどを歌うことに費やした。

ロンは、各トラックを見事に編集してくれる。俺たちはロック&ソウルの音楽を作ってきた。俺は基本的に、ソウルをベースにしたロック向きの声だ。俺たちは、少しだけロック寄りにアレンジできる曲を探していた。もちろん、偉大な歌手が歌った美しい曲であることが前提だった。

以前、埋もれた伝統曲をカバーしたアルバムを作ったことはある。でも、フランク・ウィルソンによるモータウンの隠れた名作「Do I Love You (Indeed I Do)」を歌ってみると、俺の声が完璧に溶け込んだのさ。その時、「俺はソウルミュージックを歌うべきだ」と思った。



―今回のアルバムに収録された曲は、今までコンサートでも披露していません。曲はどのように選んだのでしょうか。

BS:「Do I Love You」は、ノーザン・ソウルのコンピレーション・アルバムの中から見つけた。ノーザン・ソウルの編集盤には、オフビートのリズム&ブルーズやモータウン系の作品が多いからね。いわゆる名曲も入れたかったが、誰の耳にも新鮮に聴こえる隠れた名作も歌ってみたかった。だから(ドビー・グレイの2001年のシングル曲)「Soul Days」なんかを選んだのさ。

「Nightshift」は大ヒットしたとはいえ、1985年の作品だ。ヒット曲と言っても50年前のもので、俺のファンのほとんどが聴いたこともない曲やアーティストだ。俺が歌うことで、今の人たちに再発見してもらいたかったのさ。最終的には、自分が気に入って気持ち良く歌える曲が残った。

―「My Girl」や「Dancing in the Streets」のように、今でもどこかで耳にするような超ポピュラーな楽曲は避けたということでしょうか。

BS:その2曲も考えた。実際に「My Girl」はレコーディングもした。“誰もが知る曲”になる理由は、作品自体が非常に素晴らしいからだ。人々が聴き慣れたメロディーを俺流に焼き直して素晴らしい作品に仕上げられたら、また新鮮な気持ちで曲を見直してくれるんじゃないかというのが、俺のスタンスだ。

レコーディングしてみて思い通りに行った作品は残して、上手く行かなかったものはゴミ箱行きさ。だから何度もヒットしている有名な「What Becomes of The Brokenhearted」のように、俺たちがパフォーマンスに満足した出来の曲は、アルバムに採用した。「I Wish It Would Rain」を歌ってデヴィッド・ラフィンに挑戦しようなんて、どうかしていると思うだろう(笑)。でも俺なりにしっくり来たし、歌っていて気持ち良かった。とても素晴らしい作品だ。人が感じる痛みとか、感情の中枢部分に触れたような気がする。とにかく最高だった。最高の出来だったから採用した。



―あなたは、モータウンやギャンブル&ハフといった、その時代のR&Bの作品を総括しようとしているように感じます。80年代や90年代になると、当時のヒット曲もオールディーズ専門のラジオ局でしか聴けないようになっていました。60年代や70年代を知らない世代の多くは、当時どんなに素晴らしい作品が存在したのか、全く気づかないでしょう。

BS:タイトル曲の「Only the Strong Survive」すら知らない人も多いだろう。エルヴィス(・プレスリー)もカバーしたような、大ヒット作だ。「Soul Days」や「I Forgot to Be Your Lover」、「Hey, Western Union Man」なども同じで、今のほとんどの人には馴染みのない曲だろう。

―アルバムのクレジットを見て、ロン・アニエロがほとんどの楽器を担当していたことに驚きました。彼に、“一人ファンク・ブラザーズ”を実現する才能があるとは知りませんでした。

BS:ロン・アニエロは、天才的なミュージシャンだ。彼は自分の才能を隠しているのさ。彼はニュージャージーに住んで、俺と仕事している。彼がいてくれて、俺は世界一ラッキーだ。彼の他に、地元出身の(エンジニアの)ロブ・レブレットもいる。彼は、その道の達人だ。俺たち3人でニュージャージー工場を運営している(笑)。大抵のことは、俺たちだけで片付いてしまう。バンドのメンバーと一人ずつ調整しながら時間を掛けて30曲のレコーディングを進めていく、なんてことをする必要がないから、俺はものすごい楽だ。

それに各楽器を、ほぼアナログに近い美しいサウンドで再現できる。ここでミックス作業をしたのは、1984年以来だった。自分のスタジオだから、いつどこで何をしようが、とにかく自分の好きなようにできるのさ。

Translated by Smokva Tokyo

 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE