森山良子特集、歌手活動55周年の歴史を自選曲とともに振り返る



田家:作詞・山上路夫さん、作曲・村井邦彦さん。このお二人もまだそんなに世の中には。

森山:そうですね。レコーディングの日にピアニストが現れなかったんです。待っても待っても来なかったの。そしたら本城さんが「僕の友だちでピアノ弾くやついるからそいつ呼ぶよ!」って、村井さんが「ひょ~ひょろり~」なんて登場したんですね。それで楽曲を弾いてくださった後に、「ねえねえ、僕さ、こんな曲あるんだよ」っていろいろな曲を弾いてくださった。本城さんはグリークラブにいて、村井さんは学生時代はジャズバンドにいたんですね。その曲がすごくジャズっぽくてうれしかったんですよね。今までフォークフォークしたものを歌わされていたから(笑)。フリーな感じで歌える曲。その時にいくつか弾いてくださった曲の1曲が「雨あがりのサンバ」です。「いい! いい! こういうのをやりたい!」ってようやく自分がリラックスして歌いたいみたいな。

田家:こういう歌がやりたかった(笑)。

森山:それがこの曲だったと思うんですよね。それですぐに山上さんに詞をお願いしてそこからこのコンビの楽曲を随分歌わせていただきました。



田家:この曲もストーリーがたくさんありそうですねー。

森山:だんだんフォークが衰退していって、歌謡曲が全国区の音楽であろうと。歌手・森山良子の行く末を心配した当時フィリップス・レコードが路線を変えるという。私はね、そんなこと思ってもないんです(笑)。それを当時プロデューサーたちが検討をして、三木(たかし)先生にお願いをしようということでこれが生まれたわけなんですけれども。

田家:作詞・山上路夫、作曲・三木たかし。

森山:はい。スタジオに行きましたらとにかく雰囲気が、今まで私はただ「へ~へ~へ~♪」って歌っていたのが……(笑)。

田家:音楽って楽しいなみたいなね(笑)。

森山:そうです、そうです。例えば、〈禁じられても〉のところはノンビブラートで抑揚なく歌って、〈恋は〉っていうところから〈恋は命と同じ〉ってこぶしを入れて歌ってくださいって言われて。もうそんなこと言われたくないし、勝手に歌わせてっていう。若い頃って大人に対する反発みたいなものがすごくいっぱいありました。

田家:いっぱいありましたよ(笑)!

森山:ありましたよね! それがもうむらむら湧き上がって。でもやっぱりそんな小娘の反発なんかもろともしないぐらい三木先生とスタッフのみなさんのこれをヒットさせようという信念が燃えたぎっているんですよね。行く先が見えている感じで。でも、私みたいな小娘が何を言ってもダメだなというのが分かって、あとは身を任せておっしゃる通りに歌いましたけども。ヒット曲というのは私にとってそんなに価値のあるものでなかったんですよね。でも、本職の人たちが絶対にヒット曲を出すんだというプロ魂、執念があったので、これが本当の仕事というものなのかもしれないとすごく反発しながらもものすごく感動したんですよね。

田家:それを批判した当時の幼いフォークファンがたくさんいたわけですが、シングルチャート1位を獲得しました。今日の6曲目、1972年7月発売です。「遠い遠いあの野原」。

Rolling Stone Japan 編集部

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