U2最新インタビュー 「再解釈」アルバムの内幕、ウクライナでの経験、次回作のプラン

 
聖域なき「再解釈」、ウクライナでの経験

―ビッグヒットと並行して、隠れた作品も取り上げている点が素敵です。

ジ・エッジ:実は、『Zooropa』の「Dirty Day」のような、これまで日の目を見なかったディープな作品を掘り起こしたかったのさ。普通はベストコレクションに選ばれないような曲だ。でも、曲の持つポテンシャルには確信があった。今回の出来映えに関しては、とても満足している。

「If God Will Send His Angels」は、『Pop』からのシングル曲だ。でも、僕らのライブ向きの作品ではなかった。だからシングルとはいえ、ほとんど無名に近い作品だった。僕は常々、この曲のポテンシャルをフルに引き出せていないと感じていた。だから今回ピアノの前に座って、以前とは違った形でメロディに合うコード進行を見出す作業は、楽しかった。全く違った曲になったが、しっかりと対になっている。このやり方が、ひとつのスタンダードになると思う。特にピアノで焼き直すやり方は、いい感じだ。

―どの作品に対しても、触れてはならない聖域を設けていない点が素晴らしいと思います。単にメロディやアレンジを変えただけではなく、時には歌詞も変更しています。極端に変わった曲もあります。

ジ・エッジ:そう。「Stories for Boys」が典型的な例だ。今回は最終的に、僕がデモで吹き込んだボーカルを採用した。完全なる書き換えだ。オリジナルは知っての通り、僕らの1stアルバム用にレコーディングされた曲だ。まだ18か19歳の子どもだった。正に「少年(Boy)」だった僕らが「少年たちのストーリー」を書いたのさ。

しかし当時からは時間も経過しているし、僕らもいろいろな経験を積んで大人になった。だから当時書いた言葉をそのまま今の僕らが発しても、しっくり来ない。そこで、今の僕らが当時を振り返る形で歌詞を書き直した。当時の身の回りで起きていたことや自分自身を、違った視点から振り返って見ているのさ。すると、まるで新しくモダンな味わい深い作品に生まれ変わった。もしもオリジナルの歌詞にこだわってしまっていたら、決して実現しなかっただろう。

―今の自分と少年時代の自分との会話のようですね。とても画期的だと思います。

ジ・エッジ:その通り。今回のプロジェクト全体を通じて僕らがこだわったポイントだ。僕らのように実現できるバンドは、他には滅多にないと思う。僕らは変わることなく長い時間を一緒に過ごし、引っ張り出せる作品もたくさんあるからね。とても興味深い、クリエイティブな新境地だと思う。

―例えば「Where the Streets Have No Name」などは、これまでに数え切れないほど演奏してきたと思います。今回はそんな曲であってもコンテクストを再構成し、“この水もない場所では日を避けるシェルターが必要だ/雨を祈る砂漠の薔薇”と歌詞の一部も変えています。

ジ・エッジ:しかも、ギターも入っていない。素晴らしい仕上がりだと思う。僕らの楽曲がそれぞれ強力なアイデンティティを持ち、今回のような大胆な解釈の変更にも耐えられるということが、証明された。オリジナル曲の持つフィーリングや込められた思いはそのままに、ひとつの作品として成り立っている。

曲は、ハウザーによる情緒的なチェロで始まり、僕のエレクトリック・ピアノに展開する。今回のプロジェクトの中でも、最もドラマチックに構成や色彩を変えた作品だと思う。それから「City of Blinding Lights」もまた、オリジナルとは楽器を変えて、全く別の表現ができた。



―初志貫徹できなかったアウンサンスーチーをテーマに、2000年にリリースされた「Walk On」を、今回はウクライナ向けに焼き直しています。

ジ・エッジ:セッションを進める中で、我々を取り巻く世の中の出来事が、自然と僕らの意識の中に取り込まれた一つの例だ。「Walk On」を含む数曲をボノと共同で仕上げている最中に、ウクライナで戦争が起きた。正に現在進行中のウクライナの状況は、「Walk On」が伝えようとしているテーマにふさわしかった。

悪の親玉であるロシアのプーチン大統領に、国を挙げて立ち向かおうと呼びかけたウクライナのゼレンスキー大統領が、かつては俳優やスタンドアップ・コメディアンだったことに、強烈な衝撃を受けた。新しく書き換えた歌詞は、彼のバックグラウンドにインスパイアされている。

この世界、何がどう展開するか分からないものだ。「Walk On」を仕上げてしばらく経った頃に、ゼレンスキー大統領の首席補佐官から、キーウでコンサートをしてくれないかと依頼を受けた。ボノと僕のスケジュールの都合が辛うじてついたので、依頼からわずか1週間後に、2人はポーランドから夜行列車に乗ってウクライナを目指した。翌朝キーウに着くと、空襲警報が鳴り響いていて、少々不安を感じた。地下鉄の駅の構内に小さなステージが用意されていて、僕らは7曲か8曲演奏した。

僕らは、地元のミュージシャンとの共演を望んだ。ある友人を通じて、ウクライナの人気シンガー、タラス・トポリアの電話番号を入手した。僕らが出発する前日に、ボノが直接彼に電話した。電話の向こうの彼は、息を切らせて走っていた。「タラス、こちらはボノだ」と言うと彼は、「OK、ちょっと待ってくれ」と答えた。多くのウクライナの若者と同様、彼もまた軍隊に志願して、正に前線で戦っている最中だった。

電話でタラスには、僕らがキーウで演奏するので一緒に歌って欲しい、とだけ端的に伝えた。彼が来られるかどうかは定かでなかった。彼曰く、部隊長の許可が下りれば行く、とのことだった。その後、彼もキーウへ向かっているという連絡を受けた。

ボノと僕による地下鉄ライブの最後に、タラスと「Stand By Me」を共演した。彼は、軍服を着たままステージに上がった。彼は文字通り、戦闘の最前線から駆けつけたんだ。

非常に意義深い旅だった。ロシアに破壊されたキーウの街並みを見るのは、とても辛い経験だ。戦争を生き延びた地元の人と話したり、残念ながらなくなってしまった多くの人々の墓を目にした。大きく心を揺さぶられた。そしてここでも、芸術と現実が衝突する。しかし自分が気持ちを込めれば、たとえ少しでも、音楽に命を吹き込めることを証明できた。


Translated by Smokva Tokyo

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