瀬尾一三のアレンジ曲から読み解く、70年後半から80年代頭の音楽的な文明開化

ヘイ! / ナウ

田家:ナウというのがグループ名で「ヘイ!」が曲名です。最初にリストを見たときに、「え? これは知らない」と思いました。

瀬尾:それは当然そうですよ。だって僕が関西大学のフォークソング同好会が世界民謡研究会っていうのを作っていたんですけど、その後輩のために、みんなが集まって歌える歌はないだろうかって言われて作った曲なんですよ。

田家:1971年10月発売。

瀬尾:作ったのはもっと前で。71年には僕はアルファの社員で、東京にいましたので。それが、「MBSヤングタウン」の今月の歌に選ばれたということで、全く知らないうちにレコーディングされていて。青木望先生にアレンジしていただいて、出来上がってから聞いて驚いたという。

田家:だって詞も曲も瀬尾さんじゃないですか?

瀬尾:そうです。全くこちらが情報もなしに出来上がったのを聞かされまして、レコード会社の方から。

田家:詞も曲も書くソンググライターとしてレコードになったっていう意味では最初くらいになるんですか?

瀬尾:そうですね。でもその前に一つあったんですよね。マイケルズの『坊や大きくならないで』B面の「君に歌を」ってい曲が一番最初だったと思います。その頃も当然在学中ですし、その間にもシモンズにも書いている。だからこれが3作目ぐらいだと思います。僕B面で儲けていたんですよ、学生の頃(笑)。

田家:なるほどね。そこから東京に来てアルファミュージックの社員になられて、シンガーソングライターとしてデビューして、アレンジャーになったという。

瀬尾:デビューなんておこがましいです。1枚ソロアルバムを出しただけなので。

田家:でもデビューですね。

風の街 / 山田パンダ

田家:山田パンダさん「風の町」。75年6月発売。作詞喜多條忠さん作曲吉田拓郎さんですね。ヒットしました。いい曲ですね。

瀬尾:拓郎さんが書いて、これを出した75年夏が「つま恋」の第1回目だったので、ドタバタしている時でしたね。こうせつさんとパンダさんと正やんとが別れて、正やんが猫にいた大久保(一久)くんを入れて風ってグループを作った時に、アレンジャーを分けられたんですよね。こうせつさんの方は石川鷹彦さん。正やんの方の風が僕で、という風になっていたんですけど、パンダさんは、吉田さんが「それを瀬尾ちゃんにやってもらったら?」ってことになって、僕はパンダさんの方もやったんです。

田家:これはコーラスがシュガー・ベイブ。

瀬尾:達郎さんに頼んで。この前にも、斉藤哲夫の『グッドタイム・ミュージック』っていうアルバムを作った時に、コーラスで呼んで一緒にやってもらったり、コマーシャルとかでよく歌ってもらってたので、その頃は彼らを多用していましたね。シュガー・ベイブとしてあまり活動してない頃だったので、時間があったみたいでよく一緒にやってました。

田家:瀬尾さんの『音楽と契約した男』の中には、達郎さんとの対談が載っていまして、達郎さんよく覚えてますね。瀬尾さんと最初にお会いしたのは74年、ON・アソシエイツ、大森昭男さんの仕事だった。

瀬尾:あの人、記憶力いいんですよね(笑)。自分の作品もみんなまとめてるんですよ。音源も持ってるし。すごい関心するんですけども。彼が初めてブラスセクションを自分のレコーディングで入れたいって相談があって。その頃のブラスセクションってジャズの人たちがやってたので、ある意味、旧世代の人たちの、いわゆる業界のりの世界というか。僕のほうがアレンジャーとしては、その人たちと付き合うのが前からやってたので、俺が防波堤に行くよって言って、彼の初めてのブラスのアレンジの時に付き合いました。やさしくやってねってみんなに頼んで(笑)。

田家:その対談の中では、瀬尾さんは達郎さんを「君」というふうに呼んでおります。

瀬尾:ちょっと年も経歴も上なので。

田家:そういう関係です。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE