清春と大森靖子が語る、言葉へのこだわり、才能と余韻の話

“慣れ”の向こう側にあるもの

―今回の対バンのきっかけは何だったんですか?

大森:ライブの制作をしている方が同じ人なんです。その方がこの対バンを企画してくれて。

清春:その制作の人から言われたんですよね。たぶんマネージャーもいつか一緒に大森さんと清春さんがやってるのを観たかったでしょうし、僕自身もそれとは関係なくやってみたいなと。僕は女の子のアーティストとは、対談も対バンもあんまりしたことないので非常に楽しみですね。大森さんの曲はだいたい知ってるので(笑)。曲だけじゃなくお話してる様子とかもだいたいわかる。きちんとお話しするのは今日が初ですがもう見慣れてます。リアルか画面越しかの違いです(笑)。

―大森さんのことを知ってる中で、清春さんが大森さんの表現で琴線に触れる部分や、共鳴する部分はどこですか?

清春:大森さんのライブって、バンドスタイルだったり、キーボードと二人だったり、大森さんがアコギ一本で演奏したりとか、3つか、4つスタイルがありますよね。その中でも一人で演奏するときの様子が最強だと思いますね。弾き語りだと歌がよく聴こえるっていうのもあるんですけど、リズムとか僕が思う大森さんの特徴がよく出てる。歌の特徴がマスキングされずによく出ているのをご自分で知ってらっしゃるのかなって思って観ています。あと、間奏の時にストロークして、ちょっとお休みされている余韻とかも最高ですね。ずっと弾き続けてるわけじゃなくて。たぶん意識的にやってるわけじゃなくクセなのかもしれないですけど。僕が生で観たのはサンプラザだったんですけど、コードの余韻が会場に広がってて。なかなかあれは出せない。だって4〜50歳とかじゃないわけだから。大森さんの年齢でなかなかあの感じは出ないです。

大森:アハハハハ。

―大森さんは技術的なところではないレベルにすでに表現が達していると?

清春:技術的なところというより、アカデミックじゃないところ。アカデミックなところは最近の子はできるんだろうけど、逆に余韻とかって……。

大森:若い世代は、余韻はどんどんなくなってますね。よくアレンジャーの方もおっしゃるんですけど、ギターソロをなくしてくれとか、前奏はやめてくれとか、そういうオファーが多いみたいで。実際若い方のライブに行っても、映像が流れて、映像の方がストーリーになってて、それの主題歌みたいな感じで曲が始まるとか、そういうライブの構成が多いですから。確かに余韻はないですね。

清春:サンプラのライブを観たときに、その余韻感じたんですよ。余韻って慣れの向こう側にあるものなんですよね。場数を踏んで慣れていくとライブ進行とか、MCとかは誰でもできるんですよ。場数を踏めばけっこう余裕が出るからそこはできる。だけど、その向こう側の余韻が実はカッコいいんですよ。僕が好きな部分と、大森さんのファンの方が好きな部分は違うのかもしれないけど。僕はその部分がなんとなく理解できていて、そんな僕から見てると、一人で歌ってる、その佇まいや所作に、余裕の向こう側に余韻が嫌ほどある感じが、素敵だった。あんまりそういう風に思わないんですよ。男にも思わないし、女にも思わない。最近誰がいます? 女性で。

大森:自分と同じ感じだなって思う方はいないですね。

清春:まぁいないかもだね。あと、大森さんの歌詞も独特というか、歌詞の中で、自然といろんなことをカバーできてると思うんです。大森さんに憧れている女性へもそうだし、普通の女性にも刺さるだろうし。女性に限らず男性にもだし。あ、こういう人生だけじゃないんだって思わされると思う。セレクトする言葉というよりは、言葉の組み合わせの角度が凝ってますよね。歌い方と同じように組み合わせの角度で攻めてるなって感じします。


清春(Photo by Yoshihiro Mori)

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