J-POPの歴史「1993年と94年、セールス的な意味だけじゃないポップミュージック黄金期」



1993年6月発売、シングルで出ました。THE BOOMの「島唄」。アルバムは92年の『思春期』に入ってたんですね。THE BOOMはホコ天出身ですね。当時はスカバンドでした。THE BOOMの90年のアルバムが『JAPANESKA』。その後がこの『思春期』なんですね。日本の歌はなんだろう、自分たちが歌うべき歌は何だろうということで『JAPANESKA』を作って、その中で三味線とか和太鼓とか沖縄民謡に出会って、『思春期』の中にこの「島唄」が入ったんですね。

この「島唄」は当時レコード会社から大反対されたんです。THE BOOMのファンは女子中高生が多かったですからね。そういうファンにはおじさんに思われますよって言われて、やめてくださいっていう声がある中で、でも今これを歌いたいんだということで、こういうシングルになったんですね。沖縄の人たちも、この歌が泡盛のCMで流れたときに、まさかの内地のバンドとは思わなかったっていう反応がありました。

空前のメガヒットという光の中で、光が強ければ強いほど闇も濃いわけで、その闇に向き合ってしまった尾崎豊さん。その光に中でそれに抗いながら自分たちの音楽を求め続けた佐野さんとかTHE BOOM。THE BOOMの自己探求は、94年に『極東サンバ』という名盤になるんですが、これは来週ご紹介できるかなと思っております。

ぼくたちの失敗 / 森田童子

この年のシングル年間チャート20位。1993年1月発売、森田童子さんの「ぼくたちの失敗」。ちょっと涙腺が緩みそうになってる俺は何なんだという感じがしてますけど(笑)。これは元々は76年の曲なんですね。TVドラマ『高校教師』で使用されました。脚本家・野島伸司さん。これがテレビが流れたときは驚きましたね。なんでこれが今頃流れてんだ。それが90万枚も売れてしまって、年間チャート20位っていうのはもっと驚きました。

この90年代のバブル絶頂期のような華やかさとはもう対極、裏腹。光の当たらない青春。でもドラマの力ですね。先週もフジテレビ月9がラブソングを大量にヒットさせたという話がありましたが、今週おかけできないんですけど、浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」が92年年間チャート2位なんですよ。しかも浜田さん初のシングルチャートの1位になって170万枚売れた。92年のフジテレビの『愛という名のもとに』、あのドラマは全編が浜田省吾っていう異例中の異例のテレビドラマだったんですね。それが浜田省吾現象というのを起こしてしまって、当の浜田さんは、これは一体何なんだっていうことで、かなり考えてしまったっていう時期でしたけども。テレビに出ない人の歌がテレビでヒットするようになった。

これはいろんな要因があって、視聴者が70年代の青春を迎えていた人で、そういう人たちに家庭が出来てコンサートに行けなくなってた。テレビの制作者たちもその年代になって、俺たちの好きな事をやりたい。70年代のテレビとは違うもの、80年代のテレビとは違うものを作りたいということでこうなりましたね。その中から、森田童子さんが改めて光を浴びた。そういう現象でありました。テレビに出なかった人の曲をお聴きいただこうと思います。93年1月発売、ZARDで「負けないで」。

Rolling Stone Japan 編集部

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