J-POPの歴史「1993年と94年、セールス的な意味だけじゃないポップミュージック黄金期」



1993年1月発売、ZARDの「負けないで」。ZARDは坂井泉水さんのソロユニットですね。今月は取材をしたことがあるとかライブが良かったとか、そういう人の曲をお送りするようにしてるんですが、ZARDは取材してませんね。誰もしたことないわけですから。ZARDは本当にいるんだろうかって言われた、そんな存在ですからね。

作詞が坂井泉水さん、作曲が織田哲郎さん、プロデュースが長戸大幸さん。ビーイングの総大将ですね。ビーイングは元々作詞家や作曲家の集団で織田哲郎さんは創立メンバーですね。85年デビューのTUBEの初期の曲とか、彼の功績が大きいですね。

TUBEは90年の「あー夏休み」、こっからメンバーのオリジナルを歌うようになったんですね。ロックバンドが日本の夏を歌ったという意味でも「あー夏休み」はやっぱりエポックだったなと思いますね。88年にB'zがデビューして、B.B.クィーンズが90年に1位になって、91年にデビューしたのがZARDですね。

90年代半ばに二つの旋風があって、これは来週の話にもなるんですけど、その一つがビーイングですね。先週キャリアの長いアーティストの代表曲には90年代のものが多いという話をしましたが、浜田さんのアルバム「悲しみは雪のように」が出た1981年にデビューした人たちの代表曲も、この93年に発売されました。



1993年発売、スターダスト・レビューの「木蘭の涙」。彼らのデビューは1981年、アルバム『STARDUST REVUE』とシングル『シュガーはお年頃』。シングルアルバム同時発売だったんです。でも売れなかった。デビュー42年経ちました。まだ全国ずっと回ってますね。円熟期を迎えてます。ジャズとかロックとか歌謡ポップスとかいろんな音楽を消化して、こんなにコーラスをたくさん対応して、なおかつステージサービス精神に富んでるバンドは彼らだけですね。

当時からライブでもショートストーリーとかミニドラマを入れたりしてたんですね。それがロックバンドとしては邪道ではないかって言われたりもしたんですけど。背水の陣で臨んでヒットしたのが、84年の『夢伝説』で、それも40位だったんです。「木蘭の涙」もオリコン半分に入らなかったんじゃないかな。

同じようにコンサートで地道にお客さんが入るようになってて、爆発的にブレイクしたのがチャゲアスでしたから、次はスタレビだっていう声があちこちで交わされたんですね。レコードの売り上げとコンサートの動員が同じだった。そういうバンドがチャゲアスとスタレビだったんです。でも、チャゲアスのようにはならなかったですね。

根本(要)さんがよく言ってますけど、俺たちはヒット曲がないからここまでやれてるんだ。この「木蘭の涙」もチャートやセールスでは残らないけども、一番カバーされてる日本のポップスになりました。チャートが全てじゃない。90年代はときを超えた名曲の宝庫だっていう例でしょうね。と言いながらですね、売れた曲をお届けしようと思います。バンドを解散してソロになった。ソロ・アーティストのデビュー曲としては記録的なヒットです。藤井フミヤさん、1993年11月発売、「TRUE LOVE」。

Rolling Stone Japan 編集部

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