J-POPの歴史「1993年と94年、セールス的な意味だけじゃないポップミュージック黄金期」



1993年11月発売、藤井フミヤさんの「TRUE LOVE」。チェッカーズ時代の、漢字の郁弥がカタカナになりました。3週間連続1位を続けてミリオンセラーになって、最終的には200万枚までいったという大ヒットですね。さっき80年代が終わったと思った92年の二つの出来事という話をしましたが、一つが尾崎豊さんの死で、もう一つがチェッカーズの解散だったんですね。

チェッカーズの解散、最後のツアー12月25日から28日まで武道館4日間。最終日。もう武道館中が泣き叫んでいるという、叫ぶどころか、もっとすすり泣いてるに近かった。もう泣き声がもう武道館中に溢れてるっていうライブでした。地下鉄の九段下の駅から武道館までずっとファンの人たちが「チケットください」っていうボードを掲げて泣いてる。そういう泣き叫ぶ客席に向かって郁弥さんは「お前ら、ガキだな」。最後に「エイズに気をつけろよ、じゃあな」と言って去っていったんですね。かっこよかったですね。

尾崎さんとチェッカーズは同じ1983年デビューで、音楽雑誌の看板でしたからね。同じ92年に幕を閉じました。同じバンドからソロになったということでいうと、この人に触れないわけにはいきませんね。今日最後の曲は、93年1月に発売になった氷室京介さんの4枚目のアルバム『Memories Of Blue』から「WILL 」にしました。なぜこの曲にしたかは後ほど。



1993年1月発売、氷室京介さんの4枚目のアルバム『Memories Of Blue』の最後の曲「WILL」。氷室京介、心の叫び。このアルバムは130万枚売れて、BOØWYをセールス的にも超えたんですね。先行シングルが「KISS ME」で、年間チャート11位。氷室さんにとって唯一のミリオンセラー。『Memories Of Blue』が紹介されるときは、「KISS ME」かアルバムのタイトル曲「Memories Of Blue」、どちらかで語られることが多い。でも一番BOØWYらしくない。氷室さんもこの曲について「アルバムの中で浮いてると思うよ。でも、入口が「KISS ME」で、出口が「WILL」なんだよね。自分の中で大切にしているものの対極なんだ」という話がありました。この曲があって、BOØWYと違う音楽性にたどり着いたという確信になった曲なんではないかということで、こういう機会ですから、この曲で締めてみました。

Rolling Stone Japan 編集部

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