ニック・ロウ物語 パブロックの先駆者が振り返る「長く奇妙で最高のキャリア」

 
ジョニー・キャッシュとの交流、後悔だらけの日々

ロウがカーターと出会ったのは、1978年のロンドンでのレコーディング・セッションでのことだった。彼女のデビューにあたり、エドモンズがプロデューサーとして招かれ、ロウはスタジオに顔を出してベースを弾いた。そしてその数日後、彼はカーターをデートに誘った。「私は『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演する彼を観に行ったのよ」彼女が回想する。「彼は、クエスチョンマークが一面に付いたリドラーのスーツを着て『I Love the Sound of Breaking Glass』を歌ったわ。私たちは気が合った。最初のデートで二人で曲を書いたのよ! まだキスもしていなかったのに」(皮肉にも、それは破局の歌「Too Many Teardrops」で、ロウの1982年のアルバム『Nick the Knife』に収録されている)。



ロウのようなカントリー・ミュージックの熱狂的信者にとって、未来の義理の両親と会うことは現実離れした体験であることが分かった。当時、ロウが言うには、彼は「とても英国的で、『スパイナル・タップ』のような奴」に見えたとのこと。長い髪、古着のシャツ、タイトなジーンズ。カーターの父にして1950年代のカントリー・ミュージックのスター、カール・スミスは「僕のことを疑いの目で見ていたよ」ロウが認める。「まるで村一番の愚か者が訪ねてきたみたいに」。最終的にスミスはロウを気に入り、エルヴィス・プレスリーにベビーカーであちこち連れ回されるカーリーンの映像を見せるまでとなった。

二人で初めてテネシー州ヘンダーソンヴィルのキャッシュ家を訪れた際、ジューン・カーター・キャッシュがロウをアンティークでいっぱいのベッドルームに案内してくれた。「まるでヴェルサイユ宮殿から持ってきたかのようだった。そして、巨大なベッドがあり、そこにシルクのパジャマを着たジョン(ジョニー・キャッシュ)が横たわっていて、客人たちを迎えていたんだ。僕は思った。『こんなにイカしていることがあるだろうか』。」ロウはついに畏怖を克服した。「ジョンは僕にとても良くしてくれた。フレンドリーで、優しくて」彼は言う。二人は夜更かしして、酔っ払いながらキャッシュがロウに薦める古いレコードを聴いた。マヘリア・ジャクソン、シスター・ロゼッタ・サープ、ジョニー・ホートン。後にキャッシュ家がシェパーズ・ブッシュのロウとカーリーンの家に滞在するのだが、そこでは、朝ジューンが部屋着のガウンとダイヤの指輪と宝石をあしらったターバンという装いで小さなキッチンまで降りてくるのだった。この時期キャッシュは、ロウの『Labour of Lust』からの曲「Without Love」のカバーを録音しており、まるでサン・スタジオのアウトテイクのようなサウンドを鳴らしていた。

ブリンズリー・シュウォーツ時代に不幸ながらもレコード業界の誇大宣伝と早々に出会った後、ロウは、パンク隆盛時には役立ったものの、音楽ビジネスに対してシニシズムを募らせていた。アーティストとして、プロデューサーとして「両陣営に足を突っ込みながら」活動しながら、彼はさらに距離を置くようになった。「レーベルの人間がアーティストについてボロクソに言っているのを耳にしたし、時折僕もそこに加わっていた。同時に、それによって自分がああいったポップの土俵にいる時間が終わるのを客観的に捉えることができたんだ。とにかく僕はかなりシニカルだったよ。決して受け入れることはなかったね」。


前妻カーリーン・カーターとニック・ロウ。カーターはジューン・カーター・キャッシュの娘であり、ジョニー・キャッシュの継娘(COURTESY OF NICK LOWE)

ロックパイルは1981年に解散した。その頃には、ロウの評価はポップの神童から酔っ払いの落ちこぼれへと変わり始めていた。コステロ、ロウ、イアン・デューリー、レックレス・エリックを擁した初期スティッフの英国パッケージ・ツアーでは——最後の2人はそれぞれ「Sex & Drug & Rock & Roll」「Whole Wide World」という話題のシングルをリリースしており、後者はロウのプロデュースだった——、各アーティストが順番にヘッドライナーになるよう毎晩出演順を変える計画だったが、ロウは、ライブ後に飲む時間をたっぷりと確保すべく、すぐさまトップバッターを定位置にした。1979年制作のロックパイル密着ドキュメンタリー『Born Fighters』を締め括る最後の数分で、エドモンズは、酔っ払ってろれつの回らないロウにある種の干渉を試み、毅然とした優しさをもってこの友人に懇願する。「そろそろひと休みしよう、友よ」

「僕は『後悔も少しはあった、言うほどではないが(Regrets, I’ve had a few)』(訳註:フランク・シナトラ『My Way』の歌詞)みたいなことを言う奴じゃないよ」現在のロウが言う。「僕は後悔だらけなんだ」。その後、彼はその真意を詳しく述べている。「そうさ、僕は後悔すべきじゃないんだ。ずっと幸運だったよ。素晴らしい人たちと出会った。僕のヒーローたちであり、演奏する姿を見ることなどないと思っていた人たち。ましてや、会ったり、仕事をしたりなんて。中には親友になった人もいた。だから、信じられないぐらい幸運なんだ。だけど、本当に多くのチャンスがあったんだ……」。話が本筋から外れる。「あんなに怠惰じゃなければよかったよ。音楽そのものをもう少し学べただろうからね——音楽理論をもう少し知っていれば、自分が本当にやりたいものにより近づくことができただろう。ドラッグの摂取に費やした無駄な時間とお金のことを後悔している。しかし——」そして、彼は自身の鑑定に横槍を入れたいという衝動に含み笑いをする。「そう、それによってかなり興味深い状況に身を置くこともできた。さて……これからどうする?」

Translated by Masao Ishikawa

 
 
 
 

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