ニック・ロウ物語 パブロックの先駆者が振り返る「長く奇妙で最高のキャリア」

 
飛行機から見た夢の景色

ロウとカーターの婚姻が解消されてから数年後、キャッシュはまた一つロウの楽曲「The Beast in Me」を印象深くカバーし、それは彼の復活作『American Recordings』の中でも傑出した出来栄えとなった。ロウがWTFポッドキャストに出演した際、マーク・マロンは、あの歌詞が口には出せない心の闇を下地にしたものではないことに驚いている。だがロウは、後悔はさておき、脆弱な鉄格子の檻に閉じ込められた内なる悪魔と格闘したような感覚を抱いたことはない。実際彼は、義父の一人がシェパーズ・ブッシュを訪れる前に夜を徹してこの曲を書き、意図的にキャッシュの声を降臨させようと試みた。1990年のBBCのインタビューでは、翌朝キャッシュの前でこの曲をしわがれ声で歌った笑い話をしている。甲高い声を震わせながら、二日酔いで、恐れ慄きながら。「前夜、僕はジョニー・キャッシュだった……だけど、階下に降りてこの曲を歌った時は……こんなに弱々しい歌は聴いたことがなかったよ」。




ロウの自己消失の赤裸々な表明は、ブリル・ビルディング期のプロフェッショナリズムをもってアプローチした彼のソングライティングに、はっきりと見て取れる。「僕はいつも他人のために書いているんだ」。彼はそう言い、その後つけ加える「僕が崖っぷちにいて眼下を見ていた、とマークに思われたことはとても嬉しいよ。そして、不安な感情がどういうものかも分かっている、本当さ。だけど、僕は自分のことを歌う曲は作らないようにしているんだ」。

そうした理由もあって、ロウのレパートリーには時代を超えるクオリティがある。絶好調時の彼の曲は、その作者を匿名にさえするほどの熟練職人の域にまで達する。ロウがパーティばかりに興じていて、作品の出来にも波があった80年代に絞り込んだとしても、隠れた名曲のプレイリストが作れるし(「Ragin’ Eyes」「My Heart Hurts」「Raining Raining」「Crying in My Sleep」など)、それは蔵出しされた幻のクレイテスト・ヒッツ・アルバムのように響くことだろう。そして『The Impossible Bird』以降、かつての”Basher”が静謐を新たな轟音と捉えた時、音楽のより親密で寛いだ感覚が、ロウの歌声を、そして楽曲のウィットや構造的な複雑さをステージの前面へと押し出すのだ。目を閉じればすぐさまそのレコードが、シナトラ、サム・クック、ジョージ・ジョーンズ、ソロモン・バークなど、思春期に崇めた今は亡き神たちの精巧に作られたデモのごとく聴こえてくるだろう。



ブレントフォードでの最終日、我々は運河に沿って散歩した。上半身剥き出しの男がボートハウスのデッキで寝ている。彼の隣りでは、パイナップルから大きなナイフが突き出ている。ロウは、今週初めに逝去した女優マーゴット・キダーの話を持ち出す。彼らが付き合っていたのを知っていたかって? いや、知らなかった。彼女とはカーターとの破局後にロンドンで出会ったそうだ。かつて、ロサンゼルスで彼女の愛犬を連れてハイキングに出掛けた際、キダーは友人のルーディに会いに行こうと提案した。私有地の芝生にできた路を通ってきた二人は、犬と共に芝の上で日光浴をする男と出くわす。”ルーディ”は、ロウ曰く「ルドルフ・”忌々しい”・ヌレイエフ」だということが判明した。犬たちが遊び出す。キダーの愛犬ハリーは「前足が一本不自由だったから、常に何かをせがんでいるように見えた。そして年老いたヌレイエフの犬は酷い事故で後ろ足を負傷したダックスフントだったから、足を後ろに引きずっていて、まるで水生動物のアシカのようだった」。「アァ、カレラが一緒にいるのを見てごらん、なんてカヴァイイ!」とヌレイエフが言ったんだ、とロウがロシア訛りで語る。ロウは首を左右に振る。「人生であんなグロテスクなものを見たのは初めてだよ!」

ロウはキダーとは何年も話していなかった。彼女が公の場で神経衰弱を起こした後、90年代半ばにコンタクトを取ったが、返信はなかった。彼は今も酒を嗜んでいる—-ブレントンのパブを何軒も訪れた——が、かつてのようでなく、また、ロイが生まれた頃に喫煙も止めている。彼は近所のハウス・パーティで数曲歌っていたら、突然咳き込んだ。「止まらなくなったんだ」彼は言う。「最初は笑っていた。そして笑い事じゃなくなったんだ」。


ニック・ロウは80年代に西ロンドンのブレントフォードへと移住。その理由の一つはパブがたくさんあったからだ。「あの頃は熱心なパブ愛好者だったよ」と彼は言う。(Photo by JULIAN BROAD FOR ROLLING STONE)

その後、ロウの親友であり共同制作者でもあった2人、ドラマーのボビー・アーウィン、サウンド・エンジニア/共同プロデューサー/ツアー・マネージャーのニール・ブロックバンクが、相次いで亡くなった。いずれも癌で、アーウィンが2015年、ブロックバンクがその2年後だった。そのキャリアにおいて成功を収めた第2章において、ロウの構想に欠かせない男たちだった。ロウがスタジオでライブ・レコーディング(オーヴァーダビングとは対照的である)を行うようになった『The Impossible Bird』を手始めに、ブロックバンクは、まるでジャズ・セッションであるかのように演奏者にマイクをセッティングした。長年テキサスで暮らしてきた英国人のアーウィンは、米国のカントリーやソウル・ミュージックに対するロウの愛情を共有しており、ロウ曰く「こうしたカントリーの連中がいかに静かに演奏するか——そんな風に彼らはスウィングする」ということをすぐさま理解した。

彼らの死後、ロウは再びレコードを作ることができるのか分からなかった。ロス・ストレイトジャケッツとの共演によって彼は前を向くことができた。レコード・レーベルの周年コンサートで一緒に演奏した後、彼らはバック・バンドとしてロウとツアーを行い、また、生前のブロックバンクは、全てロウのカバーで固めたインスト・アルバム『What’s So Funny About Peace, Love and Los Straightjackets』でグループと共同作業を行なった。このアイディアはロス・ストレイトジャケッツを魅了した。というのも、彼らのお気に入りのサーフ・バンドの一つ、ザ・ベンチャーズも70年代にジム・クロウチの曲のみで同様のことをやっていたからだ(これが驚くほど素晴らしかった!)。6月に『Tokyo Bay/Crying Inside』EPをリリースした後、ロウとストレイトジャケッツは、来年リリース予定の2枚目のEPができるほどの素材を既に録音しており、3枚目についても早くも話し始めている(編注:両者は2019年に『Love Starvation / Trombone』、2020年に『Lay It on Me』というEP2作を発表)。ジャージー・シティで行なわれた、騒がしくてロック&ロール・レヴューのようなスタイルのライブは、火の出るような盛り上がりを見せた。

不思議なことに、キャリアの、あるいは、まさに人生の局面を思い描こうとしたら、しばしば、あらかじめ地図に記されていたかのように計画通りに事が進んでしまうことがある——20年後、僕はキテいる—-。だが、常に、必然的に、予想もしない場所に降り立つことになる。ロウの場合、音楽に関して言えば、彼は再び大きな音を鳴らすようになった。

ジャージー・シティ公演のアンコールで、ロウは旧友コステロの1977年の名曲「Alison」をカバーした。かつてコステロは、ロウがプロデュースしたこの曲を、スピナーズ「Ghetto Child」とロウが書いたブリンズリー・シュウォーツの曲「Don't Lose Your Grip On Love」を使用した「化学実験の結果」と称している。実験は成功した。この3曲の中でも「Alison」の出来栄えが突出しているからだ。とはいえ、コステロが“この世界は辛いだろ(I know this world is killing you)”と歌うあの有名なコーラスには、ロウのDNAがわずかに感じられるが。「Don't Lose Your Grip on Love」の同じ箇所の歌詞はこうだ「もっと高くもっと高く、ジェット機が大空を飛ぶように……」。



2023年、ニック・ロウとエルヴィス・コステロが「Alison」「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love And Understanding?」を共に披露

このくだりは、ロウが語ってくれたヨルダンでの少年期の話を思い起こさせる。彼の父は、折に触れてパイロットにとっての"日曜のドライブ"に家族を連れて行き、ツイン・エンジンの小さなペンブロークで砂漠上空を飛行した。ロウは自分用のヘルメットを持っていて、父は彼をよく副操縦士席に座らせていた。あるフライトでのこと、それは夏の午後で——快晴の日で、雲一つない青空が広がっていた——、父は何も言わずに突如立ち上がり、ロウの母が座っている飛行機の後部へと歩いていった。

ロウは何が起こっているのか分からなかった。自動操縦のことを知らなかったのだ。だが、なぜだかパニックに陥ることもなく、しばらくしたら、コックピットとキャビンを隔てるカーテンを開け、そこに両親が向かい合って座っているのを目にした——この機体はそうした椅子の配置になっていたのだ—-。そしてニックは、ふらふらとそこに戻り、二人に加わった。彼らは窓が開けられるぐらいまで低空飛行した。ロウはその場面をよく覚えている。小さなカーテンが窓の外に出てそよ風にはためいていた。眼下にはベドウィン族のテントが見えた。かれらはちょうど死海を横切ったところだった。

「まるで夢みたいだろ?」ロウが言う。「いわゆる、夢だったんじゃないかと疑うような記憶だよ」。

三人はそこに座り、窓から外の景色を覗いていた。その間、機体は自ら大空を舞っていた。


From Rolling Stone US.



ニック・ロウ来日公演

2023年10月4日(水)ビルボードライブ大阪
開場16:30 開演17:30 / 開場19:30 開演20:30
サービスエリア¥10,000-
カジュアルエリア¥9,500-(1ドリンク付)
▶︎公演詳細・チケット購入はこちら


2023年10月6日(金)ビルボードライブ東京
開場16:30 開演17:30 / 開場19:30 開演20:30
サービスエリア¥10,000-
カジュアルエリア¥9,500-(1ドリンク付)

2023年10月7日(土)ビルボードライブ東京
開場15:30 開演16:30 / 開場18:30 開演19:30
サービスエリア¥10,000-
カジュアルエリア¥9,500-(1ドリンク付)
▶︎公演詳細・チケット購入はこちら


2023年10月9日(月・祝)ビルボードライブ横浜
開場15:30 開演16:30 / 開場18:30 開演19:30
サービスエリア¥10,000-
カジュアルエリア¥9,500-(1ドリンク付)
▶︎公演詳細・チケット購入はこちら

Translated by Masao Ishikawa

 
 
 
 

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