クミコと加藤登紀子が語るシャンソンとフランスの関係、美輪明宏の存在

メア・キュルパ / エディット・ピアフ

田家:シャンソンコンクールがこの一カ月間何度も登場したと思うのですが、石井好子さんという方が日本のシャンソンの歴史の大きな転機を作った方と言っていいでしょう。お2人にとってシャンソンコンクールとはどういうものだったのか。まず、石井好子さんについてお聞きしたいのですが、クミコさんの中で石井好子さんはどういう方ですか?

クミコ:私は1回だけシャンソンコンクールに応募したんです。石井先生が審査員をされていて、全員が終わった後にこれから審査をするけれど大半の人は落ちるわよって言うんですよ。みなさんご存知だと思うけど、最初は落ちた方がスターになれるわよって言うんです。なんてことを言う人だろうと思って。結局落ちたんですよ。でも、石井先生の落ちた方が大器晩成する人がいるというふうにおっしゃったので、そうか!と思って。

加藤:1回目落ちたのはすごいよかったの。私も1回目に受けたときは歌手になるつもりもなかったわけよ。1964年にパリのリュシェンヌ・ボワイエのお店に行きました。石井さんお友だちだったから。そしたら歌ってみたらってことになり、その人の前で歌ったの。

クミコ:えー! 歌えちゃったんだ。

加藤:一応覚えていたのでね。

田家:クミコさんがシャンソンコンクールを受けようとしたのは銀巴里で歌うようになってから、ある程度時間が経ってから?

クミコ:いやいや全然前、まだ本当に小娘の頃ですね。シャンソン・カンツォーネ教室というカルチャー・センターみたいなところに半年通ったんですけど、まだ全然プロとかそういう感じでもなくて。ただ、私って魅力あると思うんだけどって勝手に自分で自分のことを思っていて。他の人のを聴いていても私の方が絶対いいと思うって、そういう人っているじゃないですか。全然実力ないのに。

加藤:若いっていうことはそういうことだよね。

クミコ:そうですよね。そう思ったんだけど結局落ちて。

加藤:私が1回目のコンクールを受けるとき、宇井あきらさんという人を石井好子さんから紹介してもらって行ったんですよ。コンクール受けて優勝してフランスに行きたいんですって。だから、1曲だけ教えてくださいって言ったわけ。コンクールに優勝するためにお願いしますって言ったら、先生はケラケラ笑って君は自信があるんだねって言うから、はい、なくはありませんとか言っちゃって。

田家:そういうお2人が、私はシャンソンが好きになっていくまで、それなりの時間があるわけですか?

加藤:時間ありますよ。私の場合はコンクール2回目を受けるまでは結構レッスン通いましたから、たくさんシャンソンも知ったんですよ。まず1つは歌本、シャンソンの歌集っていっぱい出てましたから。そこからレパートリーを選んでレッスンしてもらうんだけど、なかなかハマらないのもあって。優勝した途端に歌謡曲歌手でデビューしましたから。そこからシャンソンから1回離れちゃったんですね。逆にコンクール受かった頃にバルバラにハマったんですよ。それでバルバラを毎日聴いていて、バルバラのレコードを抱えて、藤原秀行さんというアカシアの書いた先生の家に私はこういうのを歌いたいですって行って(笑)。先生はどう思ったか分からないけど、笑ってましたね。

クミコ:バルバラはすごいですもんね。

加藤:やっぱりバルバラとの出会いは結構私の深いところにありますね。大事な響きとして。

Rolling Stone Japan 編集部

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