狙撃の名手だった米海兵隊員、「サイコパスの元夫」が義父を殺した理由

だがその前に、当局はもっと差し迫った問題を突きつけられていた。事件から数日も経たないうちに、警察は容疑者が爆破物の訓練を受けた狙撃の名手で、相当量の武器で武装していること、おそらく高性能の武器も持っている可能性があることを知った。だが犯人捜索の範囲が広げられ――バージニア州警察、アルコール・タバコ・火器および爆発物取締局(ATF)、海軍犯罪捜査班(NCIS)、連邦保安官局、FBI、地元警察、フランクリン郡保安官事務所が動員された――FBIの最重要指名手配リストにも加えられたが、誰1人男の姿を見た者はいなかった。まるで跡形もなく消えたかのようだった。

ハーディが位置するフランクリン郡は、かつて世界の密造酒の都と呼ばれていた――語り継がれる民間伝承によれば、禁酒時代には住民の90%が密造酒づくりに手を染め、保安官も1枚かんでいたという。寂れた町で、牛とサイロが点在する光景が広がり、住民の90%が白人。庭先には「イエスは我が救世主、トランプは我が大統領」と書かれた看板をよく見かける。約700平方マイルの面積に暮らす住民のほぼ全員が同じ公立高校に通い、何世代もここに根を下ろす家族も多い――ある地元住民の言葉を借りれば、「絆が深く、家族のような」場所で、互いの事情はみな筒抜けだ。おそらくそれもあって、あの年の11月に起きた事件は人々の心をかき乱したのだろう。実は誰もお互いのことを知らず、場合によっては自分のことさえもよく分かっていないと思い知らされたのだ。

現場に真っ先に到着した保安官補がロドニーの遺体を調べると、まだ暖かいものの脈はなかった。ヴァネッサに事情を尋ねると、彼女は口を開き、やがて「支離滅裂になった」と保安官補の初期調書には書かれている。もっとも、その後彼女がとった行動の関連性はすぐに明らかになった――彼女は縫合の痕や切り傷だらけの手首を保安官補に見せた。「海兵隊から姿を消した」「(息子が)心配になったので、つい最近自分でやった」と本人は言った。

ヴァネッサと母親のダイアンは警察署で事情聴取された。担当したホリー・ウィロビー刑事は間延びした声で話す金髪の誠実な女性で、右腰に携帯していた銃だけがちぐはぐだった。事件の全容がつかめていないことはウィロビー刑事も自覚していたが、一家の事情は明らかに複雑だった。ダイアンがウィロビー刑事に語った話では、2人の息子を持つヴァネッサは、幼少期に8年間精神病院に収容されていたという。またロドニーとの関係は波乱万丈だったそうだ。事件が起きるまでのほぼ1年間、ヴァネッサはダイアンと一緒に暮らしていた。「ロドニーはとても短気で、すぐにカッとなる人です……でした」とダイアンはウィロビー刑事に語った。「でも悪人じゃありません」。

ダイアンは孫のマイケル・ブラウンが犯人ではないかと疑っていた。ダイアンいわく「ふてくされた」海浜隊員は「父親を毛嫌いし」、弟のティモシーとともにロドニーから虐待されていたという。だがダイアンは虐待を信じていなかった――「ダイアンはすぐさま、ずっと兄弟を見てきたが、傷やあざを見たことはないと言いました」とウィロビー刑事。ダイアンの説明によれば、ロドニーをおおめに見るようマイケルを諭していたそうだ。「あっちも度を越して、少しばかり強く殴ったかもしれないけど、あんたにも悪いところがあったのかもしれないよ」。

ヴァネッサに関しては、「特定の情報には非協力的」だったとウィロビー刑事の調書には書かれている。だが週の後半になると、ヴァネッサも打ち解けてきた――家の外に駆けだした後、覆面の男が息子のマイケルだと気づいたという。それから息子は母親を追いかけ、頭に銃を突き付けて、電話口のダイアンに伝える内容を指示した。まるで別人のような声だった。だがそれ以外の時は冷静で、逃亡するのに3時間の猶予をくれと母親に頼んだ。


マイケル・ブラウン(隣は母親のヴァネッサ)はロドニー殺害の第一容疑者だった(COURTESY OF VANESSA HANSON)

いったん容疑者の目星がつくと捜査は急展開した。当局が調べたところ、マイケルがロドニーと接触したのは17歳で家を追い出されたのが最後だった。またマイケルは海兵隊を脱走する以前から、小型の建設車両を盗んだ疑いで海軍犯罪捜査班(NCIS)の捜査を受けていた。基地で最後に目撃されてから1週間後の10月18日、NCISはマイケルが生活していたと見られるヨットを捜索し、本人の署名入りのメモを見つけた。「ちくしょう、社会はクズだ。人生もクズだ」とメモには書かれていた。「こんなところ出てやる、遠くに行って人生をやり直すんだ。建設車両を盗んだぐらいで刑務所行きになってたまるか。ちなみに(お察しの通り)建設車両は盗んだのは俺だ」。

それからほどなくハロウィン当日、マイケルはダイアンの家に現れた――実に奇妙な話だが、彼はヴァネッサのクローゼットに身を隠した。その後ヴァネッサが帰宅すると、マイケルはウルフと名乗り、自分は「元老院」に雇われた殺し屋で、ロドニーに痛い目を合わせなくてはならないと言った(ヴァネッサのFBI調書より)。

ヴァネッサの供述から、事件前にロドニー宅で別の出来事があったことも判明した――遡ること9カ月前、ロドニーが帰宅すると家の中が荒らされていた。4WDと貴重品の他、少なくとも7丁の銃を保管していた5つの金庫が盗まれていた。押し入ったのはマイケルで、その後基地に戻っていったとヴァネッサはFBIに供述した。金庫の1つには出生証明書が保管されており、マイケルは以前から感じていた通り、ロドニーが実の父親ではないことを知った。

だが当局はいまだマイケルの所在を掴めていなかった。捜査の緊張は日ごとに高まっていった。ウィロビー刑事はヴァネッサがまだ隠していることがあるとにらんだ。「ですが、裁くのは私の役目じゃありません」とウィロビー刑事。「私はただ真実を解明する、少なくとも真実にできるだけ近づく。後は司法制度の出番です。時には間違いもあるでしょうが、上手くいくこともあります」。

2019年10月末、サウスカロライナ州リミニのマリソン湖。ぬかるんだ湖畔にあるRVパークに1人の男が姿を見せた時、オーナーのアリス・ウェザースビーさんは最初はあまり気にも留めず、後で身分証明書を見せてくれと言った。「この辺じゃ面白いことなどありませんから。わかるでしょ?」とウェザースビーさん。

その男が基地を脱走したばかりのマイケルだとは彼女も知らなかった。ただ変わった男だという気がしたのは確かだ。つねに赤いシャツに黒いネクタイ姿だった。キャンピングカーで牽引してきた荷台の扉を毎日開いて、タウンカーのリンカーンを出し、夜になると荷台の中に停めた。「車を隠しているようでした」とウェザースビーさん。夫にも「この男は殺し屋か何かのように思えてきたわ」と話していたそうだ。

11月上旬、ウェザースビーさんの夫が息子の1人とナマズ沼を見に行くと、家族内でひそかに「ディック・トレイシー」と呼んでいたマイケルに出くわした。マイケルは地面に腹ばいになり、三脚でライフルの照準を標的に合わせていた。人間のシルエットが描かれた標的には、頭部に3つ銃痕が開いていた。翌日、マイケルはリンカーンで出かけていった。

「あの時、男はあそこに行って養父を殺したんですよ」とウェザースビーさんは言う。「あの後男は帰ってくると、キャンプ場で何食わぬ顔で映画を見てました」。

Akiko Kato

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