狙撃の名手だった米海兵隊員、「サイコパスの元夫」が義父を殺した理由

11月12日未明、ウェザースビーさんの話によれば、マイケルは再び出かけていった。今度はそれきり戻ってこなかった。約48時間後、ロアノークではダイアンが玄関をノックする音で目を覚ました――孫ではないかと疑ったダイアンは、警察に通報した。「今すぐ来てください!」と、混乱気味に告げた。「マイケル・ブラウンがここにいるみたいなの!」。警察当局はほどなく、聖エリザベス教会付近の駐車場でマイケルの古いキャンピングカーを見つけた。教会に通っていた信者の1人ボビー・バランスさんは――その他大勢と同じように――前の晩教会で行われた毎週恒例の持ち寄りパーティの際に、キャンピングカーが駐車しているのに気づいた。翌朝バランスさんが後片付けの状態を確認しに立ち寄ると、駐車場は警察であふれ、キャンピングカーは破壊されていた――装甲車が車体の側面に衝突したのだ。「一体全体何事か?とおもいました」とバランスさん。「車は粉々になっていました」。


犯人捜しの一環で警察がキャンピングカー内部を捜索していた時、逃走中のマイケル・ブラウンは破壊された車内に隠れていたという

当局はキャンピングカーからマイケルを見つけ出せなかった。だが警察が発見したものは警戒感を引き起こした。マイケルが所有していたノートPCには、「自分はもうマイケル・ブラウンではない。奴は闇に葬る必要があった」という書き出しで始まる文書が保存されていた。さらに文面は、殺人は「もっと壮大な計画の一部に過ぎない」と続いていた。キャンピングカーからはロドニー殺害に使用された300口径の黒塗りライフルを含む銃9丁、弾薬、爆発物および爆破に関する陸軍ハンドブック、「黒色火薬」、ピッキング道具、防護服、暗視ゴーグルも見つかった。

マイケル捜索が行われていた当時、AJダドリー判事はフランクリン郡の地方検事だった。長身であどけない顔をしたダドリー検事は法を重んじていたが、自分にはそこまで厳しくなく、それなりに冗談が通じる人間だった。

ダドリー検事は2期目に当選したばかりで、長年待ちわびた休暇のために妻のレネーとデンバーに出かけていたが、出先の電話でハーディでの殺人事件について知った(妻のレネーさんいわく、「夫の気配が郡から出て行ったのを見計らって、誰かが殺人を犯したみたいでした」)。後にダドリー検事は、旅行用に持参した本のタイトルが不気味な響きを帯びていることに気づいた。1911年にデンバーで起きた悪名高い殺人事件を扱った『Murder at the Brown Palace[ブラウンパレスでの殺人]』という本だった。

事件現場のロドニー・ブラウン宅は小川沿いの砂利道から1本入ったところで、のどかな場所ではあるものの、パレスという雰囲気には程遠い。板張りのリビングと寝室2部屋の1階建てで、空のCDやら迷彩柄の帽子などあらゆるものが散乱していた。庭には納屋がいくつかあり、ロドニーが「男のおもちゃ」と呼んでいたものが保管されていた。

赤ん坊のころ母親を黄熱病で亡くしたロドニーは、この家で祖母に育てられた。いまでも大勢の親類が近所に住んでいる(誰1人取材には応じなかった)。「まるで大家族の集合体でした」と、娘がマイケルと知人だという女性は言った(本人の希望により匿名)。「この辺ではよくある話ですけどね」。女性の記憶では、子どものころのマイケルは聡明ながら人付き合いが不器用で、あの手この手で関心を惹こうとした。家庭の環境は最適とは言えなかったと記憶しているが――「リーバイスがぱつぱつになっても、新しいのを買ってやらなかったんですよ」――あまり気にしていなかった。「母親が家にいなかったのでら」とその女性は言い、「いろいろ事情もあったでしょう」。


父親代わりにマイケルを育てたロドニー・ブラウンには、虐待していた疑いも(WESTERN VIRGINIA WATER AUTHORITY)

「ロドニーさんを尊敬していました」と別の知人の女性は言う。なにしろマイケルを我が子のように育てていたからだ(匿名希望のこの女性によれば、ロドニーがマイケルの実の父親でなかったことは周知の事実だったようだ。だとしてもマイケルの耳には入らなかった)。「彼は物静かで、あか抜けないところはありましたが、責任感の強い人でした」。

周りからこのように見られていたがゆえに、殺人事件の後虐待の噂が浮上すると、即座に一蹴する人もいた。その後11月25日、地元TV局は2006年の裁判資料から、ロドニーが児童虐待と育児放棄で訴えられていたことを暴露した。

その頃にはマイケルは地元の英雄のような存在になりつつあった。「マイケル・ブラウンに正義を」というFacebookグループにはたちまち1000人以上が集まり、マイケルに関する報道や噂を話し合っては、マイケルを明らかに危険視する報道を嘲笑し、「#RUNMICHAELRUN」というバンパーステッカーを作ろうという話題で盛り上がった。

感謝祭直前、マイケルの弟ティモシーが大学から帰省すると、家の天井裏で食べ物とカゴを発見した。11月27日から狙撃犯が張り込みを開始した。数時間後、州警察のSWATチームが家宅捜索すると、ロドニーの寝室のクローゼットで天井の点検パネルから片足がのぞいているのを警察官が発見した。隠れていたのはマイケルで、ポケットには小さなノート、ベルトには22口径の拳銃をたくし込んでいた――ノートを取り上げたら自殺する、と彼は警察官に行った。「いいだろう、ノートはそのまま持っていて構わない」と警察官は答えた。マイケルは銃を手放した。犯人捜索はまさにスタート地点で幕を閉じた。

Akiko Kato

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