狙撃の名手だった米海兵隊員、「サイコパスの元夫」が義父を殺した理由

フランクリン郡保安官事務所でマイケルと対面したのはウィロビー刑事ともう1人、スティーフ・マクファーリング刑事だった。マイケルは11月9日の出来事について話したくないと言った。それ以外のことはすべて進んで話した。「時間はどのぐらいある? ちっ、俺の人生を全部教えてやる」とマイケル入った。その後5時間、体臭についての謝罪と(「防臭は最優先じゃなかったんだ」)次の犯人捜索のヒントを交えながら(「俺は警察の味方だよ」)、マイケルは人生の様々な経験を語った。「ずっとクリス・カイルのような人間に会うんだとばかり思っていました」とウィロビー刑事は言う。映画『アメリカン・スナイパー』のモデルになった海軍特殊部隊隊員のことだ。取調室を出た刑事は、マイケルの代理人に任命されたばかりの弁護士、デボラ・カルドウェル-ボノ氏と出くわした。「お宅の依頼人は間違いなく人好きのする男ですね」と刑事は言った。

カルドウェル-ボノ氏はハスキーボイスで、女性にはみな「ハイ、お嬢さん」とあいさつする。愛車はジャガーで、ライセンスプレートは「PRO BONO(無償で弁護を請け負う弁護士)」。ウィロビー刑事とは友人だが(刑事の義理の娘はカルドウェル-ボノ氏の美容師)、ロドニーの隣人パッツィ・マーフィーからマイケルに自首するよう説得してくれと頼まれ、初めてマイケルの状況を知った。カルドウェル-ボノ氏はマイケル逮捕で事件は終わりだと思っていた(すでに他に無償弁護を請け負っていた)。「ですが彼のことを知れば知るほど、最後まで見届けなくてはと決心しました」と本人。マイケルから聞かされた過去はどれも恐ろしく、時には信じられないようなこともあったが、彼が間違いなく真実を語っていると確信した。

マイケルがまだ幼いころ、ヴァネッサはカブスカウトでリーダーを、学校でボランティアスタッフを務めていた。だが精神疾患と過去のトラウマに悩まされてもいた(幼い時に性的虐待を受けたヴァネッサは、10代で精神病院に入院し、境界性パーソナリティやPTSDなど様々な診断を受けた)。筆者が昨年夏に電話で話した際、マイケルは淡々と幼少期の思い出を語ってくれた。5歳のころ、ロドニーがヴァネッサの首を絞めるのを止めようと、虫取り網で父親を殴った。するとロドニーはマイケルを部屋の反対側まで投げ飛ばした。8歳のころには弟と養護施設に預けられた(原因は定かではない――裁判記録が非公開のためだ。ヴァネッサの記憶によれば、当時悩まされていたコカイン中毒でソーシャルサービスに助けを求めた直後だったというが、漏洩された裁判資料によると、どうやらきっかけはロドニーの児童虐待起訴だったようだ。社会福祉課はカルドウェル-ボノ氏にも記録の閲覧を拒否した)。マイケル本人も精神鑑定でシモポロス氏にこう語っている。「母は麻薬をやっていて、養父は虐待的だった。どうなってもおかしくないだろう」。

それからほどなく、ヴァネッサは心神喪失を理由にコカイン所持罪で無罪を主張した――本人いわく、数カ月で出られると弁護士に言われたそうだ(ヴァネッサの裁判記録も非公開)。だが他の州と同様、バージニア州では無罪放免となった場合でも、精神疾患を患って危険だとみなされる間は拘束が可能だ。彼女の場合は8年間拘束された。「そのせいで家族がバラバラになった」と本人は言う。「母親としてずっと計画してきたことも、消えてしまいました」。

ロドニーは息子を養護施設から取り返すために奔走した。およそ1年後に息子たちを引き取ると、ロドニーは息子を連れて毎月ヴァネッサと面会した。マイケルの話によれば虐待もエスカレートした。「母が病院にいるのがストレスで、あいつも我慢の限界だったんだろう」とマイケル。ある年の冬ロドニーはお仕置きとして、息子たちを裸足のまま外に長いこと放置した。息子たちは互いの足に放尿して暖を取った。マイケルの推測では、ロドニーから頭を壁に叩きつけられて気を失ったことは20回以上にのぼるという。現在20代前半のティモシーはカルドウェル-ボノ氏との面談を(筆者の取材申請も)拒否したが、刑事には壁に叩きつけられてできたというマイケルの寝室の穴を見せた。穴のひとつはスパイダーマンのシールの上に空いていて、なんとも不気味な印象をなしている――壁を這い上るスパイダーマンの腹部にちょうどぽっかり穴があり、まるで何らかの力で腹を激しく殴られたためにスーパーヒーローからブラックホールに姿を変えたかのようだ。

ヴァネッサはマイケルについて、愛情にあふれているが、トカゲを連れてスクールバスに乗るなど手に負えなくなることもある子どもだと語った。小学校のころはいじめられっ子で、高校に入るとジュニア向け予備役将校訓練プログラムに参加した。海兵隊員になるのが夢だった――「悪い奴を銃で撃つ」と口癖のように語っていたと、友人の1人シエラ・ブラッドリーさんは振り返る。またクラスの盛り上げ役で、無神論者で、しばしばスーツ姿で登校した(「いつも息子には『相手の印象に残るような格好をしなさい』と言い聞かせていました」とヴァネッサ)。それもあって、フランクリン郡立高校ではアウトサイダー的な存在だった。

卒業して間もなく、ある晩マイケルが寝室に向かうと、ロドニーから「お前なんでまだここにいるんだ?」と言われた。マイケルとヴァネッサの話では(ヴァネッサはちょうど精神病院から退院したばかりだった)、ロドニーはマイケルを網戸の外に蹴り飛ばした。マイケルは裸足のままブラッドリーさんの家に向かい、ブラッドリーさんの両親が警察に通報した。警察官に自宅まで送られたものの、マイケルは中に入ろうとしなかった。「俺は『くそっ、戻るもんか、(背中に)靴跡が残ってるんだぞ』と言った」と、ウィロビー刑事とマクファーリング刑事に語っている。

それから数カ月間はホームレス生活を送り、隣町の公園の清掃員室で寝泊まりした。最終的に警備員の職にありつき、恋人と同棲を始めた。海兵隊への入隊を試みたが、医療記録に阻まれた(子どものころADHDとライム病の診断を受けていたが、長いこと放置されていたために幻覚を見るようになっていた)。だが2016年7月に晴れて入隊したマイケルは恋人と結婚した(マイケルが逮捕時に所持していたノートは新婦からの贈り物で、マイケルの好きなところが書き込まれていた)。「人生の出来事で一番幸せだったこと」だとマイケルはシモポロス医師に語っている。「それまでの相当(ひどい)経験の中に、ほんの少し光が差し込んだ」。

ロドニーの死でクライマックスを迎える一連の出来事は2018年4月に始まった。マイケルがイタリアに従軍中、妻は家を出た。本人いわく、おもに酒で悲しみを紛らわせた。マイケルが帰国してまもなく、母親はロドニーから頭に銃を突き付けられたという話を息子に打ち明けた。ロドニーはヴァネッサに今日はついてるかと尋ね、引き金を引いたという。これを聞いたマイケルはすぐに家に押し入り、ロドニーの銃を盗んだ。だがロドニーが実の父親でないと知り、安堵したそうだ。「あいつがあんな風になった原因が何であれ」と本人。「俺には遺伝しなかった」(マイケルが生まれて2週間後、ヴァネッサは結婚を前提にロドニーと同棲を始めた。2人の間にできた子どもとして育てるつもりだったそうだ。実の父親の正体についてヴァネッサは口を閉ざしている)

2019年夏になるころには、マイケルは基地の駐車場にあったトレーラーで寝泊まりしていた。「うだるように暑かった」と本人。「でもあそこまで気分が滅入っていると、気にならないもんだよ」。ある日彼は射撃訓練に出かけると、犬に吠えられた。次の瞬間、気が付くと川面に浮かぶ死んだ犬を見下ろしていた。「夢から覚めたみたいだった。でも夢じゃなかった」。2021年に裁判所命令で精神鑑定が行われた際、マイケルはバージニア大学の精神科医シャロン・ケリー氏にこう語った。「テレポートしたみたいだった」。


逃走後、マイケル・ブラウンはFBIの最重要指名手配リストに加えられた(FRANKLIN COUNTY SHERIFF’S OFFICE)

それから数週間、彼は何度も発作を起こした。たいていは意識が戻ると、銃を自分の頭に突きつけていた。自分は悪霊に取りつかれていると思った。「でも、そこまで霊感は強くないからな」。二重人格も疑った。だが最終的にはその案も「ポップカルチャーっぽい」と言って却下した。ただストレスを感じると発作を起こすことだけは分かっていた。妻がくれたノートを読んでいるときだけが唯一心が休まり、それ以外はいつ発作が起こるか分からなかった。「彼は母親のように精神病院行きになるのを恐れていました」とカルドウェル-ボノ氏は言う。誰かを傷つけるのが心配で軍隊から脱走し、キャンピングカーの購入資金として建設車両を盗んだとみられる。今思えば、銃を捨てておけば良かったとマイケルはケリー医師に語ったが、「当時は銃にハマっていた。よくわからないが、バカな話だ」。

Akiko Kato

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