狙撃の名手だった米海兵隊員、「サイコパスの元夫」が義父を殺した理由

ハロウィン当日、マイケルは記憶がなくなることについて母親に相談しようとロアノークに戻った。だが母親の姿を見るなり、解離が始まったという。11月9日、マイケルは同じ目的で再び家に戻った。だがロドニーの家の玄関口に車を乗り付けたところまでは覚えているが、その後の出来事についての記憶は途切れ途切れだとケリー医師とシモポロス医師に語っている。最初は森の中で、銃を手にしていた。それからロドニーの上に立ちはだかった。最後は母親と浴室で身を寄せ合い、泣いていた。

あらためて母親に自分の精神状態を相談しようとロアノークに戻った時、マイケルは聖エリザベス教会に車を停め、一瞬母親の姿を目にした。だがヴァネッサは、ダイアンが警察に通報したと知るや「マイケル、逃げて!」と言った。マイケルはキャンピングカーに駆け戻った。本人が言うには、その後はずっと車内にいて、警察の捜索が行われている間も小さな戸棚に身を潜めていたという。偶然にも戸棚には海兵隊から支給されたガスマスクがあり、捜索中にプロパンガスのタンクが壊れてからはずっとマスクをかぶっていたそうだ。

マイケルは暗くなっても、数マイル先まで牽引されている間も車内にとどまった。やがて戸棚から這いだし、フェンスを越えて3日間森をさまよった後、ロドニー宅へ向かった。そこでマイケルは犯人捜索のニュースを定期的にチェックした。偽のFacebookアカウントを作り、「マイケル・ブラウンに正義を」というグループにも参加してミームを投稿した――「マイケル・ブラウン」とタグ付けされた男が戸棚に隠れて頬くそ笑む中、防弾服に身を包んだ別の男が銃を掲げ、無我夢中にかけまわるという動画だった。

捜索後のキャンピングカーの状態を見たことがある人なら、マイケルがずっとそこにいたなどありえないと思うだろう。車体は粉々に破壊され、ダドリー検事も妻に「大事な証拠が全部吹っ飛んでしまった」と携帯メッセージを送っている。だが約1カ月後、ウィロビー刑事、ダドリー検事、マクファーリング刑事、カルドウェル-ボノ氏がそろって牽引場に行くと、マイケルが話していた戸棚は開け放たれ、中にはガスマスクが置かれていた。またウィロビー刑事が警察のボディカムの映像をチェックすると、周囲の会話はマイケルが聞いたと言う内容と全く同じだった。「警察官の1人が、『もしここに奴がいたらサイアクだな』と話していました」とウィロビー刑事は言う。「本人は実際そこにいて、その話を聞いていたんです!」。

フランクリン郡裁判所は白亜の柱が並ぶ荘厳な建物で、入り口には南部軍兵士の銅像が立っている。2020年6月、マイケルの予審はこの建物で行われた。カルドウェル-ボノ氏はヴァネッサへの反対尋問で、事件に関する質問はしなかった。代わりに、事件の朝ヴァネッサが見たと言うマイケルが「あなたの知るマイケル」ではないとの主張を展開した。別の言い方をすれば、心神喪失の抗弁に向けた地盤固めをしていたのだ。

善悪の区別がつかないほど重度の精神疾患を患っている者は、自らの行動に対して法的責任を負わないという考えは今に始まったものではない。古くはローマ時代の6世紀、ユスティニアス法典にも記載されている。理屈はいたって単純だ――自分でも避けようのなかった行動に対して、罰を与えることなどできるだろうか? だが精神科医と弁護士の二足の草鞋を履くスーザン・ヴィノクール氏は、著書『Nobody’s Child: A Tragedy, a Trial, and a History of the Insanity Defense』でこう指摘している。「法と秩序は、罪を犯した者を有罪にせよと要求する。一方で司法は、無罪の人間を放免せよと要求する。だが精神疾患と法律の問題が衝突した場合、正義の境界線を見極めるのが難しくなるケースがある」。

心神喪失による無罪(「NGRI」)の適用基準は、時間の経過とともに大きく様変わりしている。精神疾患についての理解が時代とともに大きく変化していることを考えれば、おそらく致し方あるまい。現在は解離性同一性障害と診断される症状も、昔は多重人格と呼ばれていた。さらにそれ以前は統語失調症やヒステリーと呼ばれ、さらにそれ以前は悪霊に取りつかれているとみなされた。

法体系上の心神喪失の定義も、心理学より世論に左右されることが多かった。1981年にジョン・ヒンクリー・ジュニアが(ジョディ・フォスターの気を惹くために)ロナルド・レーガン元大統領に発砲し、心神喪失の抗弁が認められると、その後非難の嵐が起こり、連邦政府や多くの州政府が基準を厳格化した。今日では4州がNGRIの抗弁を全面的に禁じているが、バージニア州法では犯行当時に被告が自らの行動が引き起こす結果を理解できない、または善悪の区別がつかない、または「抗うことのできない衝動」に見舞われるような精神疾患または精神不全があると証明することが義務付けられている。だが実際のところ「心神喪失をどうやって成立させるかはさほど問題ではない」と法学者のスロボギン教授は言う。「陪審は直感で判断しますから」。ジョン・ジェイ刑事司法カレッジで教鞭を取る犯罪心理学者のミシェル・ガリエッタ教授の言葉を借りれば、「法は無感情です。ですが、法を適用するのは血の通った人間です」。


マイケル・ブラウンの弁護人を務めたデボラ・カルドウェル-ボノ氏 精神鑑定の結果、被告に解離性健忘の症状が一貫して見られたことから、カルドウェル-ボノ氏は依頼人が心神喪失の抗弁の基準を満たしていると裁判で主張(THE ROANOKE TIMES)

ヒンクリー裁判後、当時のダン・クエイル上院議員は、心神喪失の抗弁が「犯罪者を甘やかし」、殺人を犯す「免罪符を与えている」という有権者の意見を支持した。だが、これは心神喪失に関する数々の誤解の1つにすぎない。NGRIが認められた人々は更正施設から支援施設に移送されるが、「同様の罪で服役するよりも、より長い期間を精神病院で過ごすのがほとんどです」とガリエッタ教授は言う。また心神喪失の抗弁で裁判になることはまれで(ほとんどの場合司法取引になる)、カルドウェル-ボノ氏もマイケルの事件を担当するまで、NGRIの裁判を扱ったことは一度もなかった。「僭越ながら意見させていただくと、人好きのする被告、同情に値しない被害者、相当な精神疾患が揃っていないと上手くいきません」と本人も言っている(ガリエッタ教授もこの判断に同意見だ――NGRIが認められる場合、「同情したくなるような被告」や「必ずしも同情できない被害者」が絡むことが多いと指摘する)。だがカルドウェル-ボノ氏はマイケルの裁判で主張が通用しなかった場合に備え、別の手も検討していた。「血も涙もないと言われるかもしれませんが、刑事裁判の弁護人の間では、奥の手は『殺さねばならなかった』という弁護だ、という言葉があります」。

NGRI抗弁の第一関門は、裁判所が任命した精神科医、ケリー氏によるマイケルの精神鑑定だった。マイケルが仮病を使っていないかを調べる心理テストなどを行った後、本人と13時間にわたって話をし、ヴァネッサやダイアンにも話を聞いて書類を徹底的に調べた結果、ケリー医師はマイケルに「他の人格の徴候」が見られると判断した。解離性同一性障害(DID)の典型的な例だ。だが最終的な判断は、マイケルの症状は解離性健忘と一致するというものだった(解離性健忘とDIDはどちらもトラウマが原因と言われており、記憶障害を引き起こす場合がある)。ケリー医師がまとめた最終報告書には、マイケルは自分の行動が引き起こす結果を理解できず、したがってバージニア州の心神喪失の基準を満たすと書かれていた。

ダドリー検事はこの時点で、ケリー医師の判断を受け入れることもできたはずだ。だがケリー医師の報告書はマイケル本人の供述によるところが大きかった。そこでシモポロス医師が2度目の精神鑑定を行った。シモポロス医師もマイケルがバージニア州の心神喪失基準を満たしているとの結論に達したが、診断はうつ病だった。「(おそらく)精神錯乱を伴うもの」と報告書には記載されている。一方マイケルの元妻はNCISの事情聴取でマイケルがサイコパスだったとし、本人は別人格を「いじわるな自分」と呼んでいたと語った(元妻にも取材を要請したが、返答はなかった)。

ダドリー検事とカルドウェル-ボノ氏は判事のみが証言を聞く「非陪審審理」で裁判を行うことに同意した。証人はシモポロス医師とケリー医師だけだった。カルドウェル-ボノ氏の主張は、絶対に行きたくない精神病院行きを免れるために、マイケルが手のこんだ計画を実行するはずはないというものだった(「仮にマイケルが殺人を計画していたなら、もっとうまくやり遂げていたはずです」と同氏は裁判で主張した。「母親の目の前で犯行に及んだりしなかったでしょう」)。「そうとも取れますがね!」とダドリー検事。「私には、政府に有利な主張もあるように思えましたが」。

最終弁論でダドリー検事はマイケルが殺害に使用した黒塗りの330口径ライフルを取り出し、ケリー医師の鑑定は「藁の家のように頼りない」と主張した。一方カルドウェル-ボノ氏は見事な流れの弁護を展開し、トラウマが原因で少年が別人格を作り上げ、数年後にその人格がトラウマの源を壊すために戻ってきたと主張した。2022年2月23日、判事はカルドウェル-ボノ氏に賛同した。今回の事件は「理解に苦しみ、受け入れがたい」と判事も認めたが、シモポロス医師やケリー医師の鑑定結果を裏付けるのに必要な証拠をマイケルがすべて捏造できたとは考えにくいという意見だった。「こうした理由から、本法廷はマイケル・ブラウンを心神喪失で無罪とします」。

Akiko Kato

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