スウィング・アウト・シスター物語 ふたりが語るルーツと名曲秘話、日本との特別な関係

ポップとオーケストラの融合、マエストロとの邂逅

─仰せの通りで、2枚目のアルバム『Kaleidoscope World』ではオーケストラルなサウンドへ方向性がガラッと変わりました。マーティンがバンドから抜けて、ああいう路線に進んだのはどのような流れからだったのでしょう?

コリーン:路線自体はおそらく初めからあったものだと思うけどね。ただ、マーティンの要素が……私たちは出会って結成したばかりで、お互いのことをよくわかっていなかったから、お互いの音楽的嗜好やキャパを発見しながら活動していたのよ。私たち3人の間で好みが重なる部分はとても多かったけど、マーティンはもう少しパンク寄りでもあった。彼はマガジンで活動していたくらいだから……インダストリアル・パンクにラテン・ジャズの要素を組み合わせたような感じ。

『Kaleidoscope World』のときはソングライティングにものめり込んでいったのよ。ブリル・ビルディング期のソングライターたちを紐解いてみたら、そこにはバート・バカラック&ハル・デヴィッドがいたし、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー、バリー・マン&シンシア・ワイル、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンもいて、イギリスにはトニー・ハッチとジャッキー・トレントがいた。そんな中でもジミー・ウェッブは……もちろんフィフス・ディメンションとかは子供の頃から聴いてきたけど、誰が曲を書いたりアレンジをしているのかまでは知らなかった。バカラックが手がけていたディオンヌもそう。ジミー・ウェッブやバカラックの足跡を知らない間にたどっていたのよ。

ブリル・ビルディングを訪れたことがインスピレーションになった。プロモーション・ツアーのときに建物の外に立って、壁を触って、「私たちにはこうすることが必要よ!」なんて言っていたわ。そうしたら偶然にも、プロデューサーのポールが「ジミー・ウェッブにアレンジをいくつか頼んでみるのはどう?」なんて言い出して。本当にジミー・ウェッブがスタジオに来てくれて、ピアノでいくつか曲を弾いてくれて、彼が考えたアレンジも聴かせてくれたの。「Forever Blue」と「Precious Words」ではオーケストラも来てくれてね。まさにブリル・ビルディング期のソングライティングへのオマージュだったわ。




─そんなヒーローとのレコーディングは楽しめましたか?

アンディ:怖かったよ! ポップ・グループがオーケストラを使う時代じゃなかったし、オーケストラというのはスタジオの中にいたがらないものなんだ。「自分はポップ・アルバムを作るべきじゃない」なんて思っているからね。だからポップ・グループとオーケストラの間には常に摩擦のようなものがある。それに部屋にいっぱい人がいるから緊張感もあって、すごいプレッシャーなんだ。

ジミーがスコアを手がけてくれたときは……通常アレンジャーというのは「ここに問題がある。ここを直して」なんて指揮者に無理難題を言うんだよね、そうできる立場にあるから(笑)。で、みんな座って無理難題を突きつけられるのを待っていた。そうしたらジミーが部屋に入ってきて、みんなひと目で彼だってわかったから、その場が静まり返ったよ。「はい、ミスター・ウェッブ。はい、ミスター・ウェッブ」みたいな感じだった(笑)。彼らがそうやってジミーにリスペクトを示しているのを見るのはステキなことだったね。

コリーン:ジミーがスタジオに来たとき、「紅茶を1杯いかがですか」と訊いたの。「ああ、頼むよ」と言われて、紅茶を淹れに行ったわ。他にどうしたらいいかわからなかったし(笑)。私が部屋を出ていったら、彼がアンディに「今日コリーンはスタジオに来るのかい?」と訊いたので、「今あなたに紅茶を淹れに出ていったのがコリーンです」とアンディが答えたら「(バーブラ・)ストライサンドも(フランク・)シナトラもそんなことはしてくれなかったよ!」と言われたらしいの(笑)。

─ジミー・ウェッブにいい印象を残した訳ですね。それはよかった(笑)。

アンディ:そう、そういうイギリス人的な礼儀正しさが気に入っていたみたいだよ。(笑)。

─この頃ジョン・バリーともお近付きになる機会があったそうですが。

アンディ:ポールが彼の作品のエンジニアを務めていて、仲が良かったんだ。そんなこともあって、「Forever Blue」の一部は『Midnight Cowboy(真夜中のカーボーイ)』へのオマージュみたいな感じになっている。ちょっとひねりを効かせたけど、そうかけ離れていないものができたよ。ポールがその話をジョンにしてくれて、ジョンが僕たちの幸運を祈ってくれた……と口外しているかどうかはわからないけど(笑)、オマージュのことは喜んでくれたと思う。



─もうひとりのヒーロー、バート・バカラックとの接点は?

アンディ:あったよ。実はロイヤル・アルバート・ホールでギグも一緒にやったんだ。僕たちが前座を務めてね。あれはものすごく緊張したな。眠れなかったよ。一番良かったのは……想像してみてほしいんだけど、彼とオーケストラ以外誰もいないアルバート・ホールに居合わせたことだね。サウンドチェックをやっていて、彼が様々なセクションに対して、こうしてほしいああしてほしいと指示を出していた。口調はとても丁寧だったけど、あるべき姿の追求に関しては確固たるものがあったね。ショウはこういう風にやるべきだという素晴らしい指導マニュアルになったよ。

─バカラックはどんな経緯であなた方を前座に抜擢したんでしょう?

アンディ:彼自身のご指名だったとは思わないけど、誰かに勧められたみたいだよ。僕らの2作目は完全に時代からズレていた。当時のロンドンでのトレンドから鑑みるに、まったく理に適っていなかったんだ。オーケストラなんて誰も使っていなかったし、みんなハウスの時代でさ。だからすごく時代に逆らっていたんだ。そんな時代にバート・バカラックがイギリスにやってきたとき、前座ができるグループが僕たちしかいないのは明らかだった。だから自然に僕たちがぴったり合うということになったんだと思う。

Translated by Sachiko Yasue

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