刑部芳則が語る、昭和モダニズムの先駆者・服部良一が作った大戦前後の楽曲

広東ブルース / 渡辺はま子



田家:お聴きいただいているのは昭和14年6月発売、渡辺はま子さん「広東ブルース」。

刑部:淡谷のり子さんのブルースと渡辺はま子さんのチャイナ・メロディ。これが上手く融合しているところが魅力の1曲なんですよね。

田家:ドラマ『ブギウギ』に合わせて、コロムビア・レコードから2枚組のアルバムが4種類出ておりまして。1枚が『笠置シヅ子の世界』、もう1枚が『服部良一の世界』。あと、『渡辺はま子の世界』、『淡谷のり子の世界』。その4作とも解説と選曲を刑部先生がおやりになっている。

刑部:そうなんです。

田家:渡辺はま子さんの解説には渡辺はま子、チャイナ・メロディの女王というふうにお書きになっていました。

刑部:渡辺はま子さんほど中国大陸の招聘慰問に行った人はいないんですよね。

田家:それは理由があるんですか?

刑部:昭和13年あたりから「支那の夜」とか、「広東ブルース」だとか「蘇州夜曲」とか、中国大陸を題材にした曲がどんどんヒットしていくんですね。

田家:シーナーのよーるー♪

刑部:あ、そうですそうです。あれは竹岡信幸さんの作曲なんですけど、とにかく渡辺はま子さんは美しい。その美貌とチャイナドレスを着て、大きな扇を持って歌うと、当時の若い男性はとにかく喜ぶんですね。そこが魅力で招聘慰問に行っていたんだと思いますよ。

田家:さっきも服部さんが皇軍慰問団で行かれたって話をしましたけども、どういう場所でどんな歌をどのくらい歌うんですか?

刑部:中国で戦っている各地を転々と回っていくんですけども、そのときには服部さんの他に渡辺はま子さんとか、松平晃さん、ミス・コロムビアさん、赤坂小梅という歌手の人たち。それから漫才とか落語家も行きまして、1つのショーみたいな形でもって1人何曲かずつ歌っていくような感じなんですよ。

田家:それは戦地、戦場でみたいなときもあるんですかね。

刑部:服部さんの場合は特に占領した各地だったと思うんですけど、最前線でドンパチしているところまで行くっていうのはなかなかね。中にはそういう経験をしている人がいますけども、このときはそうでもなかったような感じです。

小雨の丘 / 小夜福子



田家:昭和15年7月発売。これも覚えてますね。団塊の世代の方たちはどこかで聴いたことあるなという切ない気持ちになる1曲ですね。この曲を選ばれているのは?

刑部:歌っている小夜福子さんというのは当時の宝塚のトップスターなんですね。ですからやっぱりセリフを入れているんです。それともう1つ選んだ理由が、私は宝塚の女優で一番好きなのが小夜福子さんなんです。

田家:すごいな(笑)。理由があるんですか?

刑部:やっぱり見た目がかわいらしいのと、歌声がいいなというのがありましてね。

田家:宝塚は戦争中、米軍があそこを爆撃するのはよせと言った話が残っていますもんね。宝塚は日本の文化だから、あれは絶やしちゃいけないんだという。

刑部:服部さんとの関係でいくと、服部さんの妹さん服部富子さんは宝塚の出身なんですよね。宝塚を辞められて昭和13年にテイチクレコードから「満州娘」なんていうヒット曲を出してますけど、そういうような関係で服部さんと宝塚という共通項があるんですよね。

田家:今はいろいろな問題で全然違う扱いになってしまいましたが、日本のエンタテインメントの中での宝塚は特別なものがあるんじゃないでしょうか。今日の6曲目、これは戦後の発売です。昭和22年「夜のプラットフォーム」。歌っているのは二葉あき子さん。

Rolling Stone Japan 編集部

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