BREIMEN・高木祥太が児童精神科医・三木崇弘に聞く、人間の「凸凹」とADHDへの対処法

左から、高木祥太、三木崇弘 Photo by hamaiba(GROUPN), Hair and Make-up by Riku Murata

BREIMEN・高木祥太が、肩書きや職業などの垣根を超えて今話を聞きたい人と対話する連載企画。今回のゲストは、児童精神科医の三木崇弘。三木は、山崎育三郎主演でドラマ化もされた、児童精神科医がテーマの漫画『リエゾン -こどものこころ診療所-』で監修を務める人物。普段は地元・姫路の病院に勤めているが、この日はBREIMENの仲間たちが集うホーム的な場所「山一」に来てくれた。

【画像を見る】『リエゾン -こどものこころ診療所-』より

「他の人が普通にできることができない」「もしかして自分はADHD(注意欠如・多動症)、もしくは他の発達障害があるのだろうか」。そう思ったとき、病院に行くべき? それらを治す薬はあるのか? そもそも「発達障害」(三木はそれを「凸凹」と表現する)と「苦手」「怠惰」の境界線はどこにある? 自分の子どもに発達障害の症状があったときはどうしたらいい? 高木と仲間たちから飛び交う質問に、三木先生は優しく答えてくれた。

※この記事は「Rolling Stone Japan vol.23」に掲載されたものです。



どんなバイトも続かない
高木祥太のこれまでの経験

高木 はじめまして。今回三木さんを呼んだのは……僕、めっちゃ漫画を読むんですけど、漫画って文章だけで読むより感情移入できるから、自分があまり触れることのない職業のものでも疑似体験に近い形で読めると思っていて。そういった漫画を読んでいる中に『リエゾン -こどものこころ診療所-』があって、それが児童精神科医を題材としたすごくいい漫画で。後書きに「監修をお願いしている先生に話を聞きましょう」というページがあって(第2巻)、「あ、三木さんという方がいるんだ」と思ってお呼びした次第です。

三木 ありがとうございます。

高木 『リエゾン』は漫画としても面白いし、俺のいろんな経験と結びつく瞬間が多くて。母親が一時期、発達障害とかがある子たちのいる施設で働いていたり、そもそもそういう資格を持っていたりして。僕もその施設の児童の前で演奏したり、脳性麻痺とかの障害がある高齢の方たちの自立支援のバイトをやっていた時期もありました。俺、本当にバイトが続かなかったんですけど、唯一長く続いたバイトがそれで。でも専門的な方とは会ったことがなかったので話を聞いてみたいなと思って。

ーなぜ障害のある方たちの自立支援のバイトだけは長く続いたんですか?

高木 「俺、なんでこんなに続かないんだろう?」ってくらい、本当に続かなくて。バイトにおいて自分のできなさが異常で。何回もクビになったことあるし。自立支援のバイトに関しては、障害者とかそういうことは関係なしに、1対1の関係だったからですかね。他のバイトだと集団の中でうまくいかなくて。めちゃくちゃ遅刻するし、めちゃくちゃ物を落とすし、全然仕事を覚えられないし。絶対に遅れるから家から1分のところでバイトしたこともあったけど、それでも何回も遅れるし。しかも最後の日に、ビールのグラスを冷やすガラス張りの大きい冷蔵庫にガンッて当たって、バリンッて割れて、そこまでは最後の日だからいい雰囲気だったのに一変して終わるみたいな。そういう感じでミスが多すぎて。

三木 1対1でも、その相手に障害があるかどうかはあんまり気にならないというか、そういう問題ではなかったわけですよね。

高木 そうですね。基本的にその人が送りたいその日の予定に帯同するのが役目で。中にはとりわけ仲良くなった人もいて、その人とは一緒に車で島まで出かけたり、中島みゆきのライブに行ったり。だから本当に「人一人と向き合うバイト」という感じでした。

子どもの凸凹
三木先生はどう判断する?

高木 三木さんの今のお仕事としては、「うちの子はもしかしたら……」みたいな親御さんと子どもが病院に来られるんですか?

三木 そうですね、幅広くいろんな子どもが来ます。行動に収拾がつかない子、暴れる子、非行の子、虐待の子とかが来るんですけど、発達の話でいうと「ものをなくしてしょうがない」「座っていられない」「妹を噛む」とか。その背景に発達障害があるのかないのかを診ていく感じですね。

高木 そこで(発達障害が)「ない」と診断することもあるんですか?

三木 あります。でもこれまたすごく難しくて。僕らの世界では「症候群」というんですけど、「こういう原因があるからこの病気」ではなくて「こういう症状があるからこの病気」というふうになるので、たとえば授業中にウロウロしてるのが「落ち着きがない」と見なされれば、原因が何であっても「症状」にカウントされる。ただそれがADHDなのか、勉強がわからないからなのか、はたまた虐待されてるからなのかは、もう一個深掘りして聞いてみないとわからないんですよね。症状が多彩な子は背景も多彩なことが多いので、正直わからないこともあるんです。

高木 なるほど、ピッて線で結びつくものではない。何でもそうですよね。人間の感情の表れって、そんなにシンプルじゃないというか。

三木 なので、探りながらですね。家族構成とか、離婚してどうなってるかとか、「妊娠中はどうでしたか」と生まれる前のことからライフヒストリーを聞き取りして、子どもと親を見ながら「この人はこんな感じかな」と見立てます。初回の聞き取りだけで全部を完成させるのは無理なので、ちょっとずつ聞き取りながら、とりあえず打てる手を打つ。2年くらい外来に来てて、「え、そんな話あったの?」というものが出てきて「じゃあ、やっぱりこっちかな」とかもあるんですよ。向こうが言いにくかったとか、そんなに大事な話だと思ってなかったとか。子どもが「みんなこんなもんだと思ってた」と言って、「いや、それ実はおかしいからね」みたいな話になることもあります。


『リエゾン -こどものこころ診療所-』第1巻。発達障害を抱える研修医の遠野志保に高木が共感したシーン

大人のADHDやASD
どう対処すればいい?

高木 脳性麻痺とかはレントゲンなりで確証があるのに対して、発達障害とかは線引きがすごく難しいじゃないですか。「線引きが必要なのか?」とも、そもそも僕は思うんですけど。僕はずっと、嫌味ではなく、うちの母親から「ADHDだ」って言われてて、それこそバイトとかで起きたことを総合するとめちゃくちゃそれだし。でもADHDの傾向があることに関して母親から非難されることはなかったし、ミュージシャンの業界もそこまで凸凹が矯正されない世界だから、そんなに自分に対してネガティブはないんです。ただ、たとえば会社に行ってる人で診断書がほしいってなったときとか、どうジャッジすればいいのかがすごく難しいと思うんですよね。

三木 生活上の不具合が出てくると、「診断名があった方がいいよね」という話にはなりますね。おっしゃったみたいに何かで確定的に決まるものではないので、「こういう症状があって、これがあって、困ってる」となると「診断かな」というふうになります。一番大事なのは、「困ってるか、困ってないか」。特性が強くても困ってない人は世の中にいっぱいいると思いますし。僕らの業界もよく「身内にいっぱいいるよね」みたいな話をするんですよ。

高木 あ、そうなんですね。

三木 こういうとあれなんですけど、医者も社会適応性が低くても職場にいられるかなとは思います。

高木 へー! それこそ『リエゾン』も、主人公(研修医・遠野志保)がADHDの子で。僕も「明日はこれがあるから荷物を用意しとこう」と思って、前日に入念にチェックして、次の日そのかばんをかけっぱなしで出る、みたいなことがあるんですよね(第1巻に出てくる主人公の行動)。ただ、困ってるか困ってないかでいうと、俺の場合は忘れてもなんとかなったりすることが多くて。たとえば会社に勤めていると、大事な書類を忘れて取り返しがつかないこととかはあるだろうなって。

三木 トータルで困るか困らないかみたいなところではあるので。「全部自分でやれよ」って言われるとしんどい人は多いと思いますし、「忘れたら困るからこういう準備しとこう」と自分で対策を打ったり、誰かに頼んだり。それができる環境なのかどうかによると思うんですけど、一般の職業だとなかなかそれが許してもらいにくいですよね、特に最近は。「あいつに渡しといたらあかんから預かっといて」って言うのは、昔だったらあったのかもしれないですけど、最近は「ちゃんとやってください、仕事なんだから」みたいになりますよね。

高木 ADHDって、○か×というよりは傾向と頻度のグラデーションというか。たとえばものすごく濃い人に比べたら、俺はもう少しマシなのかもしれないのかなと思ってて。そういう認識で合ってますか?

三木 はい、そうですね。何事も程度問題なので。その程度がひどいと困るのかというと、そうではなくて。すごく癖があるけど困ってない人もいれば、ちょっとしか癖がないけどまあまあ困ってる人もいる。

高木 それで結構思うのが、幸いなことに僕はそんなに困ってないんですけど、ADHDやASD(自閉スペクトラム症)とかも、「自分がそうなんですよね」と言うと意外と向かい風があるということで。「いや俺もそういうところ全然あるし」「そんな甘いこと言ってんじゃないよ」「もっとお前よりひどいやつがいる」みたいなことがあると思うんです。でもそこって本当は比べることじゃないというか。

三木 そう。とりあえず言うだけ言ったらいいと思います。あとは一人称と三人称のせめぎ合いの中で着地点が決まると思うので。でも最近は、とにかく正しく決めようとしたり、「お前はこの程度だから困ってはならない」みたいなふうになっていくので。そこは本人がしんどければ「しんどい」でいいと思うんですよね。

高木 その尺度は誰が決めるのか、という話ですもんね。すべてのことにおいてそうだけど。

三木 ただ周りも周りで思っていることがあるので、そこはやっぱすり合わせというか。「そうはいってももうちょっとやってくれないと困るんだよね」みたいな意見もあっていいと僕は思うんです。それは別に攻撃ではなくて。そこの落としどころを詰めていくためのコミュニケーションが今バサッと切られてる気がします。話が深まると「え、そんなに困ってたん? わからへんかったわ」みたいになって、相手の態度が変わることもあると思うんです。でも今はそれが「コスト」と思われたり、「どうせ言ってもわかってもらえない」とか「しつこく言われた」という受け止め方になっちゃったりするので。そこは深められるといいなと思いますね。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE