サブスク時代を先取りしていた大滝詠一『EACH TIME』、評論家・能地祐子と読み解く

レイクサイド ストーリー / 大滝詠一

能地:ちなみにエンディングがいわゆる大団円バージョンと言われている、ずっと長らくオリジナルから出ることがなかったフェードアウトしない最後までいくバージョンですけども。この前に大滝さんは松田聖子さんの『キャンディ』ってアルバムとか、松本さんとのコンビで聖子ちゃんとのコンビを書かれていて、私はちょっと男・松田聖子みたいな…。物語のラブ・ストーリーっぽい悲しい感じとか、サウンドの感じとかを含めて聖子ちゃんっぽい感じが。

田家:大滝さんはアルバムの中でこの曲が一番のポイントというふうに『レコード・コレクターズ』のインタビューで言われていますね。それはエンディングについてでしたけども。フェードアウトで終わると余韻があって、次があると思われる。でも、大団円で締めるべきなのにそれができなかった。で、死にきれなかったからコンプリートを出したんだって。

能地:まあ、毎回いろいろなことをおっしゃいますけども(笑)。

田家:それでも死にきれないから1989年盤を出したんでしょう(笑)。『EACH TIME』の亡霊がずっと残っていたという話をされていますね。能地さんが30周年でお書きになっていた『EACH TIME』は水のようなアルバムだと、あれがいい表現だなと思ったんですよ。

能地:ものすごく「水」が出てくるアルバムですよね。「ガラス壜の中の船」もそうですし、「ペパーミント・ブルー」で水のように透明な心でいられたらという、水に例えられるものがたくさん出てきて。よく大滝さんが「ナイアガラの流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」ということをおっしゃって。

田家:ナイアガラの滝はまさに水ですもんね。しかも巨大な。

能地:『方丈記』かな。要するに水は流れていくけれど、ここにあるのは元の水ではないという。それが一番ナイアガラというもののスピリットを表していると思うんですけど。

田家:ナイアガラのキャラクターの絵がありますよね。どこか壮大な。今能地さんがおっしゃった“絶えず流れていくものなんだ”というのは、あの絵にも壮大さとは違う意味がある。あ、そうかと思ったんですよ。

能地:そういう意味でも水というキーワードいっぱい出てきて。自分はどんどん歳を重ねていって老いていくけど、心は水のように清らかでありたいという。失ってくものに対する想いとかも入っていますし。あとは本当にそのままですよね。サウンド的に変わっていくけど、元の水にあらずみたいな。絶えず、今回の40周年盤みたいにどんどん新しくなっていくアルバムでもあるという意味でも水の流れのようだし。また、これも大滝さんが天国から座布団を大喜利のように…(笑)。

田家:今飛んできたかもしれない(笑)。

能地:大喜利のようにそれは正解と言ってくださるのか、座布団を全部取られちゃうかわからないですけど。奇しくもそういう一番ナイアガラ的な水の流れみたいなものを体現したアルバムだったんじゃないかなという。

田家:たぶん、そういう話は大滝さんと松本さんの間では交わされてないと思うんですよ。でも、松本さんが書く詞にも水がたくさん出てきていて、大滝さんの曲の中にもそういうものがあって、2人がある種「水」に例えているものがこのアルバムなのかなというふうに今お話を伺いながら思いましたね。

能地:松本さんにしか読み取れない、感じ取れない大滝さん、それがやっぱり水的なものだったりしたとしたら面白いなと思いますけれど。

田家:それが2人の最後のアルバムになったわけですもんね。そういうアルバムの13曲目、最後の曲です。「フィヨルドの少女」。

フィヨルドの少女 / 大滝詠一

田家:これは大滝さんのインタビューの中で小林旭さんに提供した「熱き心に」の姉妹品でテンポを落とすと、あの曲になるんだというふうに明かされていました(笑)。

能地:いろいろ再利用もされていらっしゃいますけれど(笑)。ちなみに「恋のナックルボール」で、バンドゥビバンバンバンというのも、最後のシングルになりました「恋する二人」という曲のところでまた再利用されていて、だからちょっと時間空いちゃいましたけどそれも『EACH TIME』と繋がっていたりとか。

田家:時間が空いたと言えば、これもインタビューにあったんですけど『EACH TIME』の亡霊がずっと残っていて1997年の「幸せな結末」で終わったんだ、あれが『EACH TIME』の最後の作品だって話をされていて。

能地:私はその後の「恋する二人」に、ナックルボールの“バンドゥビ”がまた使われた時、大滝さんもすごく多趣味で、たくさんの音楽をご存知だけど、本当に好きなものって変わらないというか。いくつか大事な柱があって、その中からいろいろな形で音楽を作っている気がしました。少なくともソロになってから作られたものは、最後の作品までご本人としては『EACH TIME』の亡霊とか、いろいろ思われるところはあったと思いますが、こうして大滝さんのいない世界で大滝さんの作品を聴き返していると、全部1つの物語みたいに繋がっているなと感じますね。座布団取られちゃうかもしれないですけど、そんなこと言ったら(笑)。

田家:30周年盤に“解明できなかったアルバム”とか“聴く度に悲しみがこみ上げてくるアルバム”とかお書きになっていましたけど、そういう感じは今はどうですか?

能地:はい。あのときはとにかく先週もお話をしたように亡くなったすぐ後にこれを出すというのから始まって、原稿も泣きながら書いていて。スタッフもみんなメソメソしながら「大滝さんだったらどうするかな」と必死に考えながら作っているのを横で見ながらだったので。『EACH TIME』というのが人生で一番つらいアルバムになったのが10年前だったんですけど。今回は出て曲順も変わって新しい気持ちで聴いていて、すごく楽しくて渋いところもいい感じにフィットして、大好きなアルバムとして戻ってきて個人的にはうれしいです。

田家:10年前とはきっと全く違う聴き方ができるアルバムじゃないでしょうかね。でも、まだ音源が残ってそうですね(笑)。

能地:そうですね。まだ。だから、フィジカルというメディアがいつまで続くんだろうみたいなことも言われていて、50周年盤というのはどうなるのかなとは思うんですけど。

田家:CDがあるかどうかね。

能地:ええ。でもあるものは全部出してほしいなと。

田家:アナログ盤で出るかもしれないなあ(笑)。楽しみにしましょう。ありがとうございました。

能地:ありがとうございました。


左から、田家秀樹、能地祐子

Rolling Stone Japan 編集部

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE