ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンが90歳で死去

90歳でこの世を去った、ビートルズのプロデューサーとして知られるジョージ・マーティン((Photo by Eamonn McCabe/Redferns)


1962年6月6日、マーティンとビートルズはアビー・ロード・スタジオでテストセッションを行った。バンドのメンバーは『ラヴ・ミー・ドゥ』や『P.S. アイ・ラヴ・ユー』といったオリジナル曲を、れっきとした環境で録音できることに興奮していたという。経験豊富なマーティンと、若く粗野なメンバーの間には様々なギャップがあった。マーティンがセッションの感想を尋ねると、ジョージは「まず第一に、あんたのネクタイが気にくわないな」と返したという。それでも、メンバーはみなマーティンに敬意を払っていた。その証拠に、マーティンが当時のドラマーのピート・ベストをお荷物だと指摘すると、メンバーは彼を解雇することに同意した。

その数週間後、マーティンはビートルズに初のレコード契約を正式にオファーした。『ラヴ・ミー・ドゥ』のレコーディングにあたり、バンドは新しいドラマーのリンゴ・スターを連れてきていたが、スタジオでは経験豊富なアンディ・ホワイトがドラムを叩いたため、マーティンはリンゴにタンバリンを叩くよう指示しなくてはならなかった。ひどく傷ついた様子のリンゴを目にしたマーティンは、彼がドラムを叩く別テイクのレコーディングも行った。結果的にどちらのヴァージョンも正式にリリースされている。

『ラヴ・ミー・ドゥ』のヒットを受け、マーティンはビートルズのアルバムを制作することを決意し、メンバーとの長年にわたる蜜月の第一歩を踏み出した。「彼らはまるで湧き出る泉のように曲を生み出し続けた」過去にマーティンはそう話している。「一体どこからインスピレーションが湧いてくるんだろうって、みな不思議に思ったものさ」

ビートルズのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は、1963年2月にわずか1日でレコーディングされている。しかしバンドの音楽性が複雑になるにつれ、セッションに費やす時間は長くなっていった。初期におけるマーティンの役割は比較的マイナーだったが、1965年の『イエスタデイ』では、マーティンによる見事なオーケストレーションが大胆に取り入れられている。その翌年、彼は同曲で示してみせた方向性をより深く追求していく。「『エリナー・リグビー』のストリングスパートは、バーナード・ハーマンの『サイコ』のサウンドトラックにインスパイアされたものだ」2012年のインタビューで、マーティンはそう語っている。「彼はヴァイオリンを誰よりも荒々しく響かせる。スタッカートのストリングスで曲にパンチを加えるっていうアイディアは、彼の作品から得たものなんだよ。聞き比べてみればその共通点に気づくはずだよ」

Translation by Masaaki Yoshida

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