ハリウッドザコシショウ、狂気の「芸」が生まれた背景と10年続けた動画投稿

振り返りたくない地獄の上京生活

─その後、吉本を離れることになって、東京に来ることになるわけですけど、そのあたりの時期はザコシさんにとってはどういう時期だったんでしょう?


ザコシ:振り返りたくない時代ですかね。地獄でしたから。お笑いも『爆笑オンエアバトル』とか『笑いの金メダル』くらいしかなかった時期で。吉本を離れてワタナベエンターテインメントに入って、毎週大喜利をやる深夜番組にガチっとハマって、半年くらいレギュラーがあったんですけど、その番組が終わった時にG★MENS(※ザコシが相方の静岡茶っぱと組んでいたユニット)も解散したんですよ。急にピンでネタをやれるかって言うとやれなくてホント困りましたね。それで事務所も辞めたし、面倒くさくなっちゃってお笑いを辞めようと思って、フットボールアワーの岩尾くんの元相方の漫画家に漫画の書き方を教えてもらって出版社に持ち込みに行ったんです。G★MENSのショートコントを漫画にして持って行ったんですけど、「クソつまんねえ、お笑いの仕組みを分かってない」って言われて(笑)。そこで「お前に言われたくねえ、じゃあお笑いやるしかねえ」と思ったからお笑いに戻ってきたんです。あの時に「いいね、面白いね」って言われていたら漫画家になっていたかもしれないですね。



─ソロのキャリアをスタートして、最初から順風満帆だったんでしょうか。

ザコシ:全然順風満帆じゃなかったです(笑)。R-1で優勝するくらいまでは地獄でしたよ。でもやりたいことはずっとやっていたから、そんなに苦じゃなかったですけどね。

─基本は毎日楽しく暮らしてはいたけど…… みたいな。

ザコシ:そう。その後にソニー(SMA)に入ったんですけど、昔から吉本で知っていたバイきんぐと合同ライブをやろうよってことになって。それがきっかけで、イベントに芸人が集まるようになって、ハリウッド軍団が生まれた。ソニーのBeach V(びーちぶ)っていうお笑いの稽古場兼劇場に慕ってくれる後輩がいっぱいいたんですけど、みんなお金もないから集まって安い素材を買ってきて鍋をしたり、アホなこと言い合って。そんな日々を送っていたんです。R-1で優勝する2、3年前くらいから本格的に優勝したいなっていう気持ちが芽生え始めてきて。結果的に静岡から出て23年くらいかかって、ようやくお笑いだけで食えるようになったんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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