ボブ・ディラン70年代の傑作『血の轍』完成までの物語

ボブ・ディラン(Photo by Alvan Meyerowitz/Michael Ochs Archives/Getty Images)


友人ミュージシャンが振り返る「奇妙な体験」

赤いノートが17曲分ほどの歌詞で埋まると、ディランは両海岸にわたって友人たちの前でこれを披露することでさらなる彫琢を施した。7月22日にはセントポールでのクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのコンサートの後に、ホテルの一室で、スティーヴン・スティルスとベーシストのティム・ドラモンドを前に8曲か9曲を演奏して見せている。

「僕らはツインベッドに腰を下ろしていた」

ドラモンドはローリングストーン誌にこう語っている。

「ああまったく、どれほどすごかったかなんてとても言葉にはできないよ」

しかしスティルスはそこまで感動はしなかったようだ。グラハム・ナッシュによれば、ディランが去った後にスティルスはこう言ったらしい。「彼はいいソングライターだ――だがミュージシャンではない」

8月にバーンスタインを伴ってのオークランドでの滞在中に、ディランはさらに多くの『血の轍』の収録曲を、今度はマイク・ブルームフィールドに聴かせている。この時を遡ること9年前にもブルームフィールドは、やはりディラン本人から、レコーディングに先立って『追憶のハイウェイ61』の曲の幾つかを教えてもらっていた。しかしこの時はまるで違う体験となった。ディランは間を開けることも一切せず断固として曲を続けた。もちろんテープに録ることは許さなかったし、覚えるとか追いかけていくといった猶予も与えなかった。

「ただ次々聴かされるんだ。途方に暮れたよ」

ブルームフィールドはこのように言っている。この段階では全曲がオープンDチューニングで演奏されていたらしい。

「そのうち全部が同じ曲に聴こえ出した。キーも同じでどれもが長かったからね。僕の人生でも最も奇妙な体験の一つだった」

Translated by Takuya Asakura

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