マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Isn't Anything』 ケヴィンが明かすシューゲイザー革命の裏側

ケヴィン・シールズにとってギターとは?

ー例えば「All I Need」や「Several Girls Galore」でのあなたのギター・プレイは、本当にユニークで過激で予測不能、何度聞いても背筋がゾクゾクしてしまいます。それは時に、ギターがギターであることを拒んで暴れているようにも聴こえますし、ギター・サウンドの可能性を深掘りしているようにも聴こえます。

ケヴィン:とにかくまあ、何か違うことをやっていたってことだよ。これまでとは違う新たなやり方を見つけ出していた、という。例えば「Several Girls Galore」のような曲で言えば、あそこでのギター・プレイはレーシング・カーが出す音からも影響されていたし。

ー(笑)。

ケヴィン:(笑)だから、F1のレースなんかを想像してもらえば、車が「ギュワァァァ……ン、ギュワワワワァァン!」みたいな轟音を出すわけでさ。純粋に音楽からだけではなく、そういった音楽以外のものからも僕は同じくらい影響される。「All I Need」なんかにしても、あの曲には実際、波がぶつかって砕けるような感じのエフェクトがかかっているわけだし。あれにしたって、僕は……単に自分が聴いたことのある他のバンドのサウンド云々以上のことを考えていたし、とにかく何か新しいものだ、自分にはそう感じられた。あのギターを弾いていた時、僕は他の既存の音楽のことは考えず、無心でやっていた。だから、何であれ、演奏していた時に自分の頭の中を過っていたものは、音楽的なあれこれではなく、むしろ非音楽的なものの方と強く関わっていただろうね。



ーそんなあなたにとってギターとはいかなる相棒ですか? 自身の一部、手の延長で直感的に鳴らしうるものか、もしくはより手ごわい道具、いわば飼いならせない野生の馬のようなものなのか。

ケヴィン:その両方だな。というのも、リズム感、それに基本的な演奏というのは本来、直観的にやれるようになっていくものだから。だから自分自身の延長であり、ギターと自分とはその一部に、演奏していると音楽とひとつになる。自分がやっている何もかもを逐一考えたりしないし、とにかくプレイするのみ。そうだな、だから、歩行するのにちょっと似ている。自分は一歩、また一歩、また一歩踏みしめている……という具合に歩を進めていくわけだけど、細かく考えずにただ実際に歩いている。それでも、「自分は歩いている」という意識はちゃんとあるし、やっぱり注意して歩きもするし、自分が何をやっているかのアウェアネスはあるわけ。それと同じことで、とにかく音楽を演奏しているし、そこで自分自身もギターの一部になっていく、と。けれどもまた、サウンドそのもの、という面もあるんだよね。特に音量に関してそうだけれども、演奏中に一定の法則に沿わない動きをすると、ギターの音がとんでもないことになる場面が生じる。だからある意味、一体化していつつ、同時にそれをコントロールしてもいる、と。その面では少し、野生の雄馬に似ているね。

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マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン
新装盤CD/LP
2021年5月21日世界同時リリース
国内盤:高音質UHQCD仕様/解説書付

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商品詳細:
『Isn’t Anything』
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『loveless』
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Translated by Mariko Sakamoto

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