ヘヴィメタル/ハードロック伝説 KISS、ガンズ、メタリカ等の知られざる素顔を増田勇一が語る

増田氏が所有するバックステージパスの一部



スレイヤー「帝王の笑顔」

スレイヤーについてはすでに、怖い印象がありながら実はいい人たちだということがバレてますよね。「DOWNLOAD JAPAN 2019」で行われたラストライブの最後の去り際の場面とか、今思い出してもグッとくるものがあります。ついさっきまで激しく吠えていたはずのトム・アラヤに、あの哀愁を帯びた優しい声で「サンキュー」って言われただけでそうなりますよね。彼はホントに優しいんですよ。90年12月に『シーズンズ・イン・ジ・アビス』のツアーで初来日したとき、『BURRN!』は徹底的に取材するということで、毎回ライブを観に行って楽屋にも挨拶に行っていたんです。当時、『BURRN!』はTシャツとかキャップみたいなグッズをいろいろ作っていたので、それをメンバーに人数分あげるとすごく喜んでくれたんです。彼らにしてみると、着替えをたくさん持って日本に来ているわけではないから助かるというのもあるわけですけどね。そうやってメンバー全員にグッズを分配し終えると、僕のところにトムが近づいて来たんです。何かと思ったら、「キャップをもうひとつもらえないかな……? 実はうちのクルーに弟がいて、彼にもあげたいんだ」って。彼の弟はジョン・アラヤという名前で、のちに僕は彼と再会することになるんです。なんとジョンはDIR EN GREYの欧米でのツアーでテックを務めていたんです。

スレイヤーが初めて『BURRN』の表紙を飾ったとき、編集部ではトムとケリー・キングが歯茎を出さんばかりに笑っている写真を選んだんですけど、それにまつわるエピソードがあって。この写真はニューヨークで撮影されたもので、カメラマンさんはデヴィッド・タンさん、そして取材は彼の奥様でもある林洋子さんというジャーナリストにお願いしたんです。これはその林さんから聞いた話なんですが、こういう撮影のときに「ケータリングでこういうものを用意してほしい」というリクエストがあることは日常的だけども、彼らの場合はビールとかだけではなく、どこそこのラムだとか、ハードリカーの銘柄や本数を細かく指定して注文してきたっていうんです。一体どんな人達が来るのかと思ったら、林さんいわく「とてもスイートでセクシーな人たちだった」と。当然、こっちはスレイヤーは怖い人たちだと思ってるから「ええ~!?」と思うわけです。

で、その取材時に撮られた写真一式が現地から届いたときに、一枚だけ2人が大笑いしているものがあって、それを見て僕が「表紙は絶対これですよ! スレイヤーが笑うなんて誰も思わないじゃないですか! 絶対インパクトありますよ!」と編集長を説得して、それが表紙になったんです。すると読者投稿欄の似顔絵コーナーに笑顔のスレイヤーの絵がたくさん届くぐらい反響があって。そして来日時にときにその号を持っていったら、トムはそれを見た瞬間に本を伏せてしまったんです。「気に入らなかった……?」と聞いたら、「ごめん、これを見てると笑っちゃうんだ」って。「かわいいな、この人」と思いましたね。

トムはすごく正直な人で、近年になってから彼に取材したとき、「実は、90年前後に僕はあなたとよくお会いしていたんですよ、覚えてますか?」と聞いたら、「ごめん……というか、あの頃出会った人のことは誰も覚えてない」と言うんです。当時はアル中寸前だったので彼はその時の記憶がないんだ、と。当時はライブが終わってから、最低でもビールの6パックを持ってホテルの部屋に戻っていたみたいで、それでも足りないことがあったそうです。それぐらい飲まないと眠れなかったんですね。

その取材が終わったあと、「一緒に写真を撮ろう」という話になったんですけど、「撮るには条件がある、『スレイヤー!』と叫べ」と。場所は恵比寿の高級ホテルです。だけど流れ上、やらないわけにもいかず、その場にいたメーカーの担当者に目で「ごめん!」というサインを送り、「スレイヤー!」と大声で叫んで、「あっはっは!」と笑われながら一緒に撮りました。おちゃめな方なんです。スレイヤーに限らず、あの手のバンドには意外とそういう人が多いですね。




スレイヤーのケリー・キング(Photo by Ann Summa/Getty Images)

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セパルトゥラ「持ち物に名前は忘れずに」

セパルトゥラはパンテラと同じ時期、92年夏に来日していて、僕はその前に『ARISE』というアルバムのツアーのときにイギリスでカヴァレラ兄弟に取材しているんですが、『BURRN!』の見本誌をあげたら弟のイゴール・カヴァレラが、その表紙にマジックで「IGOR」と書いていて、「え?」と思って彼を見ると、「こうしておかないと誰かが持っていっちゃうんだよ」と顔をしかめて言うんです。

後日、ロンドン滞在中に再び彼らと会う機会があって、マックス・カヴァレラが「お前にプレゼントがあるんだよ」と誘ってくれたので彼らが泊まっているホテルまで行ったら、セパルトゥラのメンバーと前座のセイクレッド・ライクとヒーゼンのメンバーが、ロビーで輪になって座って飲んでるんですよ。それで僕も「お前も飲めよ」みたいな感じで飲まされていたら、マックスが部屋からレジ袋にいろいろとグッズを入れて持ってきてくれたんですけど、あとで見てみると、その中に明らかに新品ではないスウェットが1枚入ってたんです。「なんだこれ?」と思ってタグを見てみたら「IGOR」って書いてありました。それはいまだに持っていますね。

あの人たちがかわいいなと思ったのは、その次に取材した際、僕が「久しぶりだね」と挨拶したら、マックスが「いや、俺はメタリカのビデオでお前のこと見たけどな」って言うんですよ。さきほど話に出た『コンプリート・シーンズ・オブ・メタリカ』のことです。ツアーの移動中は暇だから、いろんなバンドのビデオを買って観ていたんでしょうね。

初来日のとき、半日だけオフがあって、当時の発売元のメーカーがはとバスをチャーターして、メンバーに観光をさせてあげたんですよ。そこに『BURRN!』も同行して撮影させてもらったんですけど、ラテン系の人たちは時間を守らない。なので、行く予定だった場所を2カ所ぐらい飛ばしていました。あと、そこには若干名のファンを招待していたので、そこから情報が漏れて、バンドが行く先々にファンが待ち受けてたのを覚えてます。

彼らが一番時間を費やしたのは、浅草の仲見世にあるおもちゃ屋さん。ゴジラのデカいフィギュアを買ってご満悦でした。観光を終えて六本木のホテルに戻ってからは、居酒屋の座敷で宴会。そのお店にはカラオケも置いてあったので、メーカーの人がBOØWYを歌ったりして、「お前もなんか歌え!」と言われたんですけど、洋楽が入ってないカラオケだったので、「どうしよう……」と悩みながらとある曲を入れたら、パウロJr.がイントロから踊りだしてくれたんですよ。それは郷ひろみの「お嫁サンバ」。ああ、本当にサンバの国の人たちなんだなと思いましたね



増田勇一(ますだゆういち)
1961年生まれ。1984年に創刊された日本初のヘヴィメタル専門誌『BURRN!』の副編集長、洋楽専門誌『MUSIC LIFE』の編集長を務めたのち、1998年よりフリーランスに転身。邦楽・洋楽を問わず幅広く取材・執筆活動中。著書に『ガンズ・アンド・ローゼズとの30年』などがあり、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の日本語字幕監修も手掛けている。例年は年間平均150本のライブに足を運んでいる。

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