無垢な生き物だったインターネット―トム、あなたとバンドは非常に早い時期からインターネットを取り入れ、ネットの潜在的な力をあの頃からしっかり理解していましたし、スタンリーも初期の時点でクリエイティヴに関与していました。当時、あなたたちがこの世界にとっての「可能性のツール」としてのインターネットに抱いていたのはどんな感覚でしたか? また、今、私たちとネットとの関係はどんな地点にあると思いますか。スタンリー:(ため息まじりで苦笑)。あの当時はインターネットもまだ若く、無垢なクリーチャーだったわけだ。おそらく、何だってやることができるクリーチャーだった。
トム:可能性が色々あった……。
スタンリー:そう。非常に良かったよ、当時は本当に楽にhtmlコードを書けたから。間違ってもコード作成者ではない僕ですら、「radiohead.com」の最初の4つか5つのイテレーションは自分で書けた。面白可笑しいことがたくさんできたんだ、絵を動かす、とか。ところが今やあんまり笑い事ではないこともできるようになったわけだよね、間違った事実を告知でき、しかも人々にそれらを信じさせることができる。
トム:(苦笑)。それに、僕たちは本当に、極めて、ものすごく意識的でもあった。誰かから「君たちのサイトに毎月50万のビジターが来る」と言われたことがあって、あれにはとにかく僕たち全員、完全にぶったまげた。
2000年当時のレディオヘッド公式サイト(ウェブアーカイブ)スタンリー:僕たちはインターネットのことを、スケッチブックを使うのとまるっきり同じように扱っていたからね。何もかもあそこにアップし、特に編集もしなかった。
トム:言うまでもなく、下げることもなくて(苦笑)。
スタンリー:そう、消去することなしに、その上に別の何かをアップしていった。ほとんどもう、僕たちが絵画を制作する、あるいはバンドが音楽を作るのに近いやり方だった。一種の累積物だったわけ。「これ」といったプランニングがあったわけじゃないし――(トムに向かって)さっきお前も言ったみたいに、音楽を作る時に「これはこういうサウンドにしよう」、「自分はこれについて曲を作る」云々、前もって計画を立てないわけだろ……。
トム:君の質問のキモは、現在のインターネットと昔との違いは何か?ということだよね。で、明らかな違いと言えば、当時サイトを訪れていた多数の人々が、僕たちがサイトにアップしたランダムなあれこれを好きに読み取っていく、そういう状況があった。スタンリーが言ったように、僕たちのスケッチブックの延長みたいにランダムなもろもろを。で、一切自主検閲していなかったし、自分たちがどんな発言をしようがまったく怖くなかった。そんなのどうでもいいことだし、別にいいんじゃない?と。
スタンリー:
エド(・オブライエン)は日記をオンラインにアップしていたよね?
トム:その通り! 時にとても個人的な内容もアップされたし、怒り心頭な時もあり、非常に罵倒型になることも……という具合で、なんでも出していた。歌詞に関する生煮えの楽曲アイディアも山ほどアップしたし、とにかくなんでもあり。どうしてかと言えば、あの時点では「きっとこうなるから、言わないでおくのが無難」とか「これは書かずに控えておこう」云々の概念が存在しなかったからであって。
スタンリー:あの頃は、それにはまだ早過ぎたよ。
トム:というわけで、僕が思うに、個人的に――あれ以来その点が、我々が今いるこの地点について僕が抱く問題であり続けてきた。だから、僕には理解できないというか。いやまあ、インターネットはコミュニティ、人々がコミュニケーションできる場である、それは良いことだ、と。そこは分かってるけど、と同時に、そこには抑圧的な空気もある。アーティストをやっていると感じる、インターネットの具体的な機能の仕方に備わった抑圧の感覚。それは、僕は甘んじて受け入れない。
スタンリー:昔はニッチな存在だったわけだよ。僕たちがやり始めた頃は、ネットをやっていたのは限られたグループだけ。それ以上になることはなかった。Facebookにしたって、あれが出現したのは2005年か、そこら?
トム:僕たちは「いいね!(Like)」と思われるかどうかを気にしちゃいなかったってこと(苦笑)。