ドージャ・キャット密着取材 傍若無人なポップスターの知られざる素顔

 
父親は不在、母親はヒッピー

ドージャと親しい人々のほとんどは、彼女のことをドージャとは呼ばない(猫とマリファナが好きだという理由で決めたアーティスト名に複雑な思いを抱いている彼女は、過去に改名することを何度か検討したが、マネージャーの説得により断念したという。「マリファナ中毒のヒッピー女だと思われてるけど、それは事実じゃない」と彼女はそう話す。「ドージャ・キャットってポケモンのキャラの名前みたいだって、こないだ(『SNL』で)ネタにされてた。気にしてないけど、本当はすごく気にしてる」)。本名をアマラ・ドラミニ(Amala Dlamini)という彼女のことを、友人たちはアマラと呼ぶ。

グラフィックデザイナーの母デボラ・ソーヤーと、南アフリカ生まれの俳優兼ダンサーの父ドゥミサニ・ドラミニの2番目の子供であるドージャは、ユダヤ系の建築家で画家でもある母方の祖母と暮らすためニューヨーク州ライに移り住んだ(一家は厳格なユダヤ教徒ではなく、ドージャはロブスターを食べてクリスマスを祝っていたという)

ドージャは父親に接する機会のないまま成長し、今でこそソーシャルメディアで繋がっているものの、実際に会ったことは一度もないという。彼について知っていることは、母親から聞かされた内容だけだ。彼女の母親はニューヨークでブロードウェイの舞台に立っていた相手の男性と出会い、短い間交際していたが、あちこちを飛び回っていた彼は彼女やそのきょうだいと過ごす時間がなかったという。「ちょっと混乱してた」。彼女は当時のことについてそう話す。「周りの子はみんなパパと一緒にいるのに、私は会ったこともなかったから」

子供の頃からの親友の1人であるGabrielle Hamesは、父親の不在は彼女の人格形成に大きく影響していたと話す。「いつか会いに来てくれると彼女はずっと信じてたけど、相手はいつまでたっても来なかった」。Hamesはそう話す。「『お父さんはアフリカで舞台に立ってるけど、きっと会いに来てくれる』って彼女は言ってた。でも、彼女が彼に会うことはなかった」


Photograph by Kanya Iwana for Rolling Stone. Outfit by KNWLS. Earring by Wasee. Rings by German Kabirski.

ドージャが8歳になるかならないかの頃、デボラ(後にサンスクリット名のIshwariを使うようになる)は子供たちを連れてサンタモニカの山岳地帯に移住し、伝説的ジャズミュージシャンのアリス・コルトレーンが率いたコミューンSai Anantam修行所に入った。デボラは山々に囲まれた穏やかな暮らしを求めていたが、「落ち着きのない子供だった」というドージャはそういった環境に馴染めなかった。「とにかく禁欲的だった」。彼女は修行所についてそう話す。「私のきょうだいは気に入ってて、友達もたくさんできてた。でも私には、友達と呼べる子はほとんどいなかった。食べたいものが食べられなくて、子供らしいことが何もできない、そういう毎日。肩にスカーフを乗せてないといつか神様に見放される、そんな感じだった」

一家はその後、アッパーミドルクラスの人々が多く住むロサンゼルス郊外の町、オーク・パークに移り住んだ。そこでHamesの母親と親しくなったことをきっかけに、デボラは宝石づくりに励むようになった。Hamesの姉のAlexis Hainesは、時々ドージャと彼女のきょうだいの面倒を見てくれた(彼女たち姉妹は後にE! Reality TVシリーズの『Pretty Wild』に出演している。またHainesは、映画『ブリングリング』で描かれたセレブの豪邸を狙った強盗事件に関与した疑いで逮捕され、1カ月間刑期を務めている)。「私たちはいわゆる鍵っ子だった」とHainesは語っている。「母親がヒッピーだったからか、はっきり言って過剰な自由を与えられてたと思う」

ドージャと彼女のきょうだいは、住んでいた地域において数少ない(あるいは唯一の)混血の子供だった。「私の見た目はみんなと違ってた。髪の毛も」。彼女はそう話す。「地域の人々は人種差別的で、失礼で無遠慮で奇妙だった」。彼女が子供の頃に仲良くしていたのは白人やユダヤ人ばかりで、きょうだいは彼女に黒人の友達がいないことをからかっていた。Hainesはドージャに頼まれて、彼女の髪に頻繁にストレートアイロンをあてていたという。

Hainesによると、ドージャのきょうだいの悪行は「家庭内での主なトピック」となっていたという。「彼女自身の気持ちに配慮する余裕はなかったのかもしれない」とHainesは話す。「彼女はエネルギーを持て余していて、あの手この手で注意を引こうとしていたけど、すごくスウィートでいい子だった」

ドージャがラップを始めたのはHainesが彼女の面倒を見ていた頃で、Hainesはそれを自身のMySpaceにアップするようになった。ドージャが育った環境では、常に音楽が流れていた。きょうだいは50セントやNasに夢中で、母はエリカ・バドゥやアース・ウインド・アンド・ファイアーが好きだったほか、修行所で行われていたパワフルな読経にも家族でよく参加していた。「ラップが得意だってことは自覚してた。自分に才能があるって感じたのは、それが初めてだった」。彼女はそう話す。

歌うことについてはそこまでの自信が持てず、彼女は今でも不安を覚えることがある。歌の指導をしていた叔母の勧めで、キャンドルに灯した火を揺らすことなく歌う練習を繰り返していたドージャは、彼女のきょうだいが通っていたロサンゼルスのパフォーミング・アート高校の入学オーディションに合格する(彼女が歌ったのは『リトル・マーメイド』の「Part of Your World」だった)

Translated by Masaaki Yoshida

 
 
 
 

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