スラッシュ「最低な状況も愛していた」ガンズ・アンド・ローゼズで得た人生の教訓

母親について、生い立ちとアイデンティティ

―ロンドン郊外のハムステッドのご出身ですが、最も「英国人らしい」と感じるところは?

スラッシュ:何よりもまず、英国に対する熱狂的な愛国心だ。愛国心は、すべての英国人の血に流れているようだ。DNAとか何かに組み込まれているのかもしれない。かれこれ40年以上アメリカで暮らしているっていうのに。ほかにも、何となく残っているものはある。たとえば俺は、アメリカ人のように「叔母」という単語を「アント(蟻を意味するantと同じ発音)」と発音するのではなく、英国式に「アーント」と言う。英国式のブレックファストも大好きだ。

―お母様は、デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、ジャニス・ジョプリンといったアーティストの衣装デザインを手がけていました。ファッションについて彼女から教わったことは何ですか?

スラッシュ:ファッションやスタイルについて母親と話した記憶はまったくないから、服の好みは無意識的なものかもしれない。いつもTシャツとデニム姿の子供で、そこから進化することはなかった。でも、革パンは好きだ。母親が最高にクールな革パンをつくってくれたときのことを覚えている。でも、馬鹿な俺は、その数年後にヘロインと交換してしまった。それでも、特定のスタイルを無意識的に好むようになったのは確かだ。

―お母様は黒人で、お父様は白人でした。幼少期は、どのようにしてアイデンティティを確立したのでしょうか?

スラッシュ:幼少期の俺は、正真正銘のはみ出し者だった。アメリカに移住したばかりのころは、英国北部の訛りがひどかった。長髪で、「Shit(クソッタレ)」と書かれたTシャツを着て、穴の空いたデニムを履いていた。どこに行っても馴染めなかった。学校では白人の子供たちに囲まれていたけど、母方の黒人の親戚の多くはサウスロサンゼルスで暮らしている。自分のことをあまりに白人的だと思っていた(笑)。あの頃はキツかったな。ありのままの自分を受け入れることができなかったんだ。

でも、7〜8年生のときにギターと出会い、すべてが変わった。ある日突然、俺は「クールな奴」になったんだ。当時の俺は、よそよそしくて素っ気なかったから。ギターとの出会いを機に、肌の色を気にしなくなった——バンドメンバー探しの最中に相手よりも自分の肌の色のほうが濃いことに気づいたときは例外だ。大人になるにつれて感じ取るものは、間違いなくある。それも人生の一部で、俺たちはそれを抱えて生きていくしかないんだ。

あまり個人的に考えたことはない。何者であるかを明確に定義できない自分自身との結びつきを感じていたのかな(笑)。

―いまの生活では、スラッシュとサウル・ハドソン(スラッシュの本名)をどのように使い分けているのでしょうか?

スラッシュ:「スラッシュ」と呼ばれるようになったのは、9年生の頃だ。いま誰かに「サウル」と呼ばれたら、変な感じがするな。俺のことをガチで「サウル」と呼んでいたのは、他界した祖母くらいだったから。でも、運転免許書、パスポート、法的文書などはすべて本名だ。こういうシーンで「スラッシュ」はふさわしくないと思う。

Translated by Shoko Natori

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