エイドリアン・シャーウッドに学ぶレゲエ伝説、ホレス・アンディを輝かせたプロデュース術

プロデューサーから掘り下げるホレス・アンディ

―あなたが特に聴き込んだホレス・アンディの作品を教えてください。

エイドリアン:『Midnight Rocker』を作って良かったと思うのは、俺が持っている彼の作品のほとんどがシングルだったからなんだ。ホレスの曲は全部聴いているけど、アルバム全体を通してしっかり聴くということはしてこなかったから。もちろん、アシュレー・ビードルとやった作品や、他のプロデューサーと一緒に作ったアルバムもすごく好きだけどね。このアルバムのこの曲とこの曲が素晴らしくて、こっちのアルバムはこの曲が良くて……っていうふうにピックアップ出来るのは素晴らしいけれど、『Midnight Rocker』は彼にとって初めての、頭から終わりまでひとつのアルバムとして通して聴ける作品になっているはずだよ。

―では、これまでに繰り返し聴いた曲は?

エイドリアン:これまでに挙げた曲はどれも繰り返し聴いたし、キース・ハドソンと作った「Don’t Think About Me」(70年代にMafiaレーベルからリリースしたシングル)もすごくいいね。



―ホレス・アンディは70年代にクレメント “サー・コクソン”・ドッド、タッパ・ズーキーなど、ジャマイカの素晴らしいプロデューサーたちと制作をしてきました。70年代の作品において特に感銘を受けたプロデューサーは?

エイドリアン:全員だよ。特に誰とか言えない(笑)。それぞれが素晴らしい仕事をしたと思ってるし、影響を受けているからな。タッパ・ズーキーとの「Natty Dread a Weh She Want」(1978年の同名アルバム収録)なんかはとても良い曲だしね。(コクソン・ドッドのレーベル)Studio Oneにはホレス初期の頂点というべき作品が集まっているから、これらを聴けば彼らの素晴らしさが分かるよ。キース・ハドソンは俺の友人だけど、とてもクレイジーですごい才能の持ち主だね。エヴァートン・ダシルヴァもそう。どのプロデューサーも完璧な仕事をする人たちで、とてもリアルなんだ。演奏のスタンダードも、プロダクションも、その全てが完璧と言っていいだろう。ホレスと関わったプロデューサーは俺も含めて、みんな真剣だし本気で良いものを作ろうと取り組んできたんだ。



『Natty Dread a Weh She Want』ジャケット写真(discogsより引用)

―80年代以降は、NYのブルワッキー、UKのジャー・シャカ、マッド・プロフェッサー、マッシヴ・アタックというふうに、ジャマイカ人以外のプロデューサーと制作しています。この時期についてはいかがでしょう?

エイドリアン:ブルワッキーはすごく良い仕事をする人だよね。ホレスが彼らとやっていた頃は、新しいサウンドシステムがちょうど台頭してきて、マイクを手にしたDeejayが加わるようになった時期だ。ホレスもサウンドシステムのリズムに合わせて踊ったりして、Deejayのような役割をしていたこともあったね。NYでの彼の素晴らしい映像が残ってるんだけど、サウンドシステムに自分の生歌を乗せたパフォーマンスをしているんだ。ほとんどサウンドクラッシュ(レゲエのサウンドシステム同士が競い合うもの)っていう感じで。こういうことをやっている人は当時はほとんどいなかった。

それに、70年代のミュージシャンは、上手く80年代のダンスホール・シーンを取り込むことが出来なかったけど、ホレスはそれをやってのけた数少ないミュージシャンのひとりだと思う。初期の頃、(ダンスホールの)リズムはすべて生演奏でプレイされていて、今見てもすごいと感じるね。Deejayは、想像力を働かせてその世界観を表現する存在になった。ホレスは、ブルワッキーのシーンをすごく柔軟に取り込むことに成功したと思うんだ。「Cuss Cuss」(1983年作『Dance Hall Style』収録)はその好例だと思うよ。生のリズム隊と、Deejayシーンで歌うことはシンガーにとって難しい挑戦だったように感じるね。ケン・ブースなんかも苦労していたように思う。ホレスはサウンドシステムのカルチャーを生き抜く智恵を身につけていたから、それがNYでの彼の作品で結実したんじゃないかな。



1986年、サウンドシステムとともに歌うホレス・アンディ

Translated by Tomomi Hasegawa

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