吉田拓郎の軌跡を辿る 歴史を変えた曲「結婚しようよ」から名コンビ誕生まで



1972年1月、CBSソニーからシングルが発売されて爆発的なヒットになった「結婚しようよ」。明るい曲でしょう? ロングヘアの歌ではあるんですね。こういうロングヘアや長髪っていうのは、アメリカ西海岸のヒッピーから伝わってきたファッションではあったんですけど、日本の長髪讃歌です。ロングヘヤ―は日本でこんなふうに若者たちに受け入れられたファッションだった。そんな曲でもあります。でもこの曲が、フォークソングのファンから否定されたんですね。その話はCMのあとで。



1971年11月発売、2枚目のアルバム『人間なんて』から「川の流れの如く」。かっこいいでしょう? 僕も、かっこいいなと、当時思った曲ですね。アルバム『青春の詩』の中には、「やせっぽちのブルース」とか「野良犬のブルース」、ブルースというタイトルのついた曲が2曲入っていて。『人間なんて』の中には「わしらのフォーク村」っていう冗談のような歌もあったんです。でも、「わしらのフォーク村」がフォーク村応援歌のように受け取られて、やっぱり拓郎さんはフォークのイメージになってしまった。

「結婚しようよ」が売れて、彼はコンサート会場で、裏切り者、帰れ!と石を投げられるんですね。なんでかというと、当時、フォークは商業的な音楽ではないんだという考え方が強かった、売れたあいつは商業主義に身を売った、そういう扱いをされたんです。拓郎さんが、ずっと俺はフォークじゃないって言っているのは、音楽的な根拠もあるでしょうし、その頃のフォークに対してのこだわりが、どこか未だにあるんでしょうね。フォークだとか、ロックとか、パンクだということを超えたアルバムではあったんですが、なかなかそう受け止められなかった。そういう中で、1972年に一番売れたアルバムの1枚。年間チャート2位(※1972年度オリコン年間チャート2位)だったんじゃないかな。アルバム『元気です。』からお聞きいただきます。「春だったね」と「せんこう花火」。

Rolling Stone Japan 編集部

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