オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

 
オジーの人生は「カムバックの連続」

翌日の午後、ロンドンの洒落たホテルのスイートで会ったオジーは、まだ目を覚ましたばかりだった。「こんな遅くまで寝ていることは滅多にないんだ。よっぽど疲れていたんだろうな」と言いながらソファに倒れ込む。最大限のくつろぎを得た彼はダイエットコークを頼んだ。

オジーの格好は黒Tシャツと黒トレーナーというカジュアルなものだ。73歳を迎えた彼はパンデミックを機に髪を染めるのを止め、白髪交じりの長髪をポニーテールにまとめている。紫のレンズが入ったジョン・レノン風のサングラスをかけた彼だが、それを下げると、ブルーの瞳が貫くような眼力を持っていることが判る。時に彼は補聴器をいじっている。歩くときには銀のフィリグリー細工の入った杖を使い、2時間半にわたるインタビューのあいだ苦痛を感じているようにもぞもぞしながらも、バーミンガムでのパフォーマンスが彼の精神を高揚させるものだったことは明らかだった。彼は常に活気に溢れ、枕を投げたりして、強調したいことがあるとじっと視線を合わせてきた。

彼のお気に入りの単語は今でも“ファック”であり、我々がともに過ごした数時間のあいだに正確に540回使っていたが(1分あたり約2.5回となる)、その発言は唸らせられるほど多彩で豊かなものだった。

「昨日の夜まで俺は半隠居状態だったんだ」彼は首を持ち上げて強調しながら言う。「3年間ずっと『もうステージには上がらない』と考えてきた。もう(パフォーマーとしてのキャリアが)終わったと、半分自分に思い込ませてきたんだ」

オジーの苦悩が始まったのは2018年、さよならワールド・ツアーになる筈だったツアーの最中だった。おそらくミート&グリートでファンの手を握ったことが原因と思われるが、彼は生命に関わる危険のあるブドウ球菌感染症を患い、親指が電球サイズにまで膨れあがってしまった。その後、大晦日のOZZFESTでヘッドライナーを務めるほど回復したものの、それから間もなく自宅で転倒、2003年の四輪バイク事故で重症を負った脊髄損傷を悪化させている。2019年の転倒の後、“アイアン・マン”は首に2枚の金属プレートを埋め込むことになった。

オジーは腕と足の、彼が「ごちゃごちゃになった神経」と呼ぶ部位の治療と処置で数カ月ぶんのツアー日程を延期することになった。回復に努めているあいだ、彼は2020年にエルトン・ジョン、スラッシュ、ポスト・マローンをフィーチャーしたアルバム『Ordinary Man』をレコーディングしている。同作のプロモーションをしている最中、彼は医師にパーキンソン病と診断されたことを明かした。そして起こったのがコロナ禍だった。オジーはこの疫病を回避していたが、今年4月に感染。症状は軽かったものの、その後になって髪の毛が抜け落ち、爪が欠けるようになったという。「どれだけクソみたいな気分になったか口に表せないよ」と彼は語る。


Photo by Ross Halfin

6月に行われた矯正手術は、シャロン曰く「彼の残りの人生を左右する」ものだった。手術後、彼の首に埋め込んだ金属プレートのネジが脊髄に食い込み、破片を出すことが判明した。「まったく悪夢だったわ」と彼女は言う。幸い外科医がネジを取り去ったことで、それ以来オジーの体調はかなり改善した。

そうしてバーミンガムでの公演への道が切り開かれることになった。「実現したことが信じられないぐらいよ」シャロンは筆者に話してくれた。
「6カ月前に出演依頼があったときは、辞退しなければならなかった。でもイベントの数日前に連絡があって、『オジーがコミコンに出ているのを見ました。お元気そうですね。出演の件、出来そうでしょうか?』と言われたのよ。それでオジーに訊いてみたら『うん、いいんじゃない?』って」

ライブ・パフォーマンスの後、オジーは親友でビリー・アイドルのバンドのギタリストであるビリー・モリスンと喜びを分かち合っている。「“来た、見た、勝った”ってメールが来たんだ」モリスンは語る。「単に“判っていたよ”と返事したよ」

ステージ上では絵に描いたように自信に満ち溢れているオジーだが、いったんステージを下りると自分自身に批判的になる。「勝ち目なんかないって気になるんだ」彼は言う。「若い子は俺が何者かなんて知りゃしないだろ」

実際のところ、オジーの人生はカムバックの連続だった。学校の教師に落ちこぼれのレッテルを貼られた後、彼は仲間と共にブラック・サバスを結成。ヘヴィ・メタルの誕生に関わることになった。サバスから追い出された彼は、ソロ・アーティストとしてスーパースターとなる。ロラパルーザのオーガナイザーに老いぼれ恐竜呼ばわりされた彼は、嘲笑うように自らのOZZFESTを始めた。『オズボーンズ』はうつろいやすいテレビ人気を生き残り、カーダシアン家のようなリアリティTV一家の先駆けとなった。



オジーのアルバム・セールスは1億枚を超える。彼はブラック・サバスの一員としてロックの殿堂入りを果たしている。さらに彼はドジャー・スタジアムで“観衆による最長の絶叫”のギネス・ブック世界記録を樹立。「フロントマンとしてのオジーはシナトラやエルヴィスと肩を並べるね」過去35年のあいだ再度オジーのバンドのギタリストとして活動してきたザック・ワイルドは語る。「彼みたいな人間はこの業界、他にいないよ。ベーブ・ルースが野球の歴史で占める位置と同じだ。それだけデカイんだ」

そうしてオジーは最新アルバム『Patient Number 9』を完成させた。このアルバムにはトニー・アイオミ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックに加えてメタリカ、パール・ジャム、ガンズ&ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーが参加している。“クレイジー・トレイン”は再び発車したのだ。

Translated by Tomoyuki Yamazaki

 
 
 
 

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