オジー・オズボーン「地獄からの生還」 過去・現在・未来を大いに語る

 
試練の連続だった結婚生活

シャロンの辣腕マネージャーぶり、「Crazy Train」のようなヒット曲、そして酔っ払って鳩やコウモリの首を食いちぎるなどの悪名高きマスコミ報道のおかげもあって、オジーはビジネス面でブラック・サバスを凌ぐ大きな成功を収めるようになった。サバスは後任シンガーにロニー・ジェイムズ・ディオを迎えて活動を続けていた。

だが1982年3月、パーティーは突然終わりを告げることになる。

ツアーバスの運転手がオフ日、ランディ・ローズとヘアドレッサーのレイチェル・ヤングブラッドを自家用飛行機でのフライトに誘ったが、ツアーバスの上空すれすれを飛んだとき邸宅に突入、乗っていた全員が亡くなったのだ。
「1週間に2回も葬式があったんだ。酷いものだよ」オジーは語る。「あれ以来、葬式というものに出られなくなった。頭がおかしくなりそうなんだ。家族の葬式なんて絶対に出られない」

1982年7月4日、オジーとシャロンはハワイのマウイ島で結婚式を挙げた。今年彼らはホテルに閉じこもって40周年を祝ったばかりだ。「最高のひとときだったわ。部屋を出ず、ルームサービスを取って、人生について話し合ったのよ」シャロンは言う。「私たちにとっては、それで完璧だった」

「シャロンにルビーをプレゼントしたんだ。ルビー婚だからな」オジーは語る。「大金を払ったよ。こんな小っちゃなルビーに15万ドルだぜ! シャロンに『たぶんボッタクられてるよ。本当は7万ドルもしないだろ』って言ったよ。でもルビーはすごくレアらしい」

ランディが亡くなった後もオジーはジェイク・E・リー、ザック・ワイルドらのギタリスト達と共に前進を続け、「Bark at the Moon」(月に吠える)、「Shot in the Dark」(暗闇にドッキリ!)などがMTVでヒットを記録。「史上最高にラッキーなコンテスト優勝者の気分だよ」ザックは語る。「夢じゃないかって自分の身体をつねるレベルだ」



そんな一方で、オジーのアルコールとドラッグへの依存はエスカレートしていった。ホテルの暖炉をいじりながら、彼は1989年に意識を失った状態でシャロンの首を絞めようとしたことを二度繰り返し話す。「飲みに出かけて、目が覚めたら留置場で殺人未遂容疑で捕まっていたんだ」彼は後悔の念を表しながら語った。

シャロンは結局告訴を取り下げた。「彼は治療施設に閉じ込められて、私たちは会うことがなかった」シャロンは話す。

「最初はホッとしたけど、2カ月ぐらいすると、会いたくてどうしようもなくなったのよ。子供たちも毎日パパと会いたがった。『パパはいつ帰ってくるの?』 と言っていたわ。私も彼がいなくて寂しかった。彼のクレイジーさを失って寂しかったのよ」シャロンはオジーを引き取ることになった。

オズボーン夫婦の結婚生活はそれからも試練の連続だった。2013年、ブラック・サバスがオジーを解雇して以来初めての共演アルバムを制作する準備をしているとき、彼はまだアルコールを捨て切れていないうちに鎮痛剤依存症に陥った。そして2016年には、シャロンはオジーがヘアスタイリストと不倫をしていることを知った。それからオジーはセックス依存症の“集中治療”を受けている。それでも2人が別れることはなかった。

結婚生活をどうやって維持出来たのかオジーに訊くと、彼は肩をすくめる。「知らないよ。良い嫁さんを持ったってことじゃないか」彼は言う。「彼女は人生ずっとロックンロールと過ごしてきたんだ。でも彼女は俺を愛してくれるし、俺も彼女を愛している。俺は完璧な夫ではないけど、彼女が正しい方に導いてくれるんだ」

「結婚する相手がアルコール依存症ということは最初から判ってたからね」シャロンは言う。「険しい道のりになることは予想していた。でも悪いことより良いことが多かったし、後悔することは何もないわ。私はオジーを救ったし、オジーは私を救ってくれた」

Translated by Tomoyuki Yamazaki

 
 
 
 

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